Cyber NINJA、只今参上

デジタル社会の世相をNINJAの視点で紐解きます。

遥かなるポートモレスビー

 2018年のAPECは、議長国がパプアニューギニアニューギニア島の東半分という太平洋諸国としては大きな領地を持つ国だが、人口は700万人以下で一人当たりGDPは3,000ドルにも満たない貧しい国だ。ところが昨年初めてAPEC議長国を務めるという国際舞台へのデビューにあたり、最低限のインフラ整備を必要とした。これについて多額の援助を申し出たのが、中国。

 
 アメリカやオーストラリアが影響力を持っていたこの国に、中国が存在感を増しているのはかの国がここを太平洋進出の第二ラインと考えているから。第一ラインは尖閣諸島から台湾、南シナ海に至るものだが、第二ラインはフィリピンやインドネシアを含むもの、その南端がニューギニア島なのだ。そのAPEC会合は初日から米中が対立、結局首脳宣言にいたらなかった。
 
 パプアニューギニアの首都ポートモレスビーは、3/4世紀前にも別の形で太平洋を挟んだ二国対決の舞台となった街である。太平洋戦争初期、順調に第一段作戦を終えグアム、シンガポールや、フィリピン、インドネシアの要所を抑えた日本軍が第二段作戦として臨んだ一つがこの街の攻略だった。
 
 1942年5月、史上初めての空母対空母の戦いになった「珊瑚海海戦」は、日本側は小型空母「祥鳳」沈没、「翔鶴」中破の被害、米国側は「レキシントン」沈没、「ヨークタウン」中破の相打ちに終り、ポートモレスビーを攻略することはできなかった。ポートモレスビーから、オーストラリア本土のタウンズビルなどを空襲する計画は幻になった。

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 付近にラバウル(ニューブリテン島)、カビエン(ニューアイルランド島)などの航空基地を持ち、後にはニューギニア島のラエも占拠した日本軍だったが、ラエとポートモレスビーの間には4,000m級のオーエンスタンレー山脈が横たわり、この街に(文大統領がお嫌いな)旭日旗を建てることは出来なかった。
 
 歴史は繰り返すといいますが、75年経って日本と中国が変わっただけの対立構造です。ファーウェイ事件で沸点が近くなった米中対立、Hot-Warに至らないことを祈ります。