Cyber NINJA、只今参上

デジタル社会の世相をNINJAの視点で紐解きます。

禁酒日のディナー(浜松餃子定食)

 今日も元気に熱海に帰ってきた。家内に言われているのは、週に数日禁酒日を設けることで、今日はその日だ。禁酒日には、新幹線に乗る前に夕食を食べることもあるし、適当なお店が見つからないと熱海まで帰ってきてしまうこともある。

 

 何年か前に建て変わって綺麗になった熱海駅、ラスカと言う名前になってレストランも3階に何軒か入った。その中で気に入っているのが、浜松餃子の店「五味八珍」。浜松市は長年「餃子を一番食べる街」の座を宇都宮市と争っていて、このところ抜きつ抜かれつのデッドヒートを繰り広げているのだという。

 

 そんなところだから美味しいだろうと入ってみたのが、もう2年以上前。メニューは餃子だけでなく、炒飯・焼きそば・ラーメン・から揚げなど軽めの中華ものが豊富だ。これらを合わせた定食がどうも売り物で、炒飯と餃子や、ラーメン・ライスに餃子という「炭水化物一杯メニュー」が用意されている。

 

 前回は空腹だったので、ラーメン・ライス・餃子のセットを食べたが、いつもこれだと体重がとんでもないことになってしまう。そんなわけで、今日はこのお店の基本メニューを頼んだ。定食の中で一番安い、「浜松餃子定食」だ。

 

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 売り物の浜松餃子は円形に並べられていて、その中央にゆでたもやしが山盛りになっている。あとはご飯(半膳)とスープだけだが、このスープが卵ベースでなかなか美味い。僕はこの中に、もやしを入れて食べることにしている。餃子の付けタレは酢と餃子のタレを1対1で混ぜて、そこに唐辛子エッセンスを数滴たらす。

 

 餃子は外はカリっと、中はジューシーという基本を押さえている。外皮はOKなのだが、具の方は何度食べても正体が分からない。多分、豚ひき肉、タマネギその他の野菜のみじん切りだと思うのだが・・・。まあ、美味しさに異論はない。合間にもやし入りのスープを飲み、ふっくらとしたご飯を食べる。これで夕食としては十分なカロリーだし、食べたという満足感もある。

 

 いや、今日は無事に禁酒できましたね。帰り道すがらの安心できるお店でした。ごちそうさま、また来ます。

カジキのお刺身

 田舎の少年だった僕の家では、日常は質素なものを食べていた。しかし年に何回かは親戚や近所の人が集まる会食の日がある。親父の会社の仲間たちが集うこともあった。そういう時は、狭い家ながら8畳の座敷と6畳の次の間を通した即席の宴会場ができるようになっていた。

 
 後年法要の折などには「仕出し弁当」をとることもあったが、それ以外は台所で作った料理をどんどん並べることになる。釣った魚を持ち込む来客もいて、親父が生きたコイやフナ、ナマズをさばいているのも見たことがある。鳥を1羽まるごと買ってきて鍋の具にすることもあった。まあ、酒さえ呑めればそれでいい来客が多かったような気もする。
 
 そうでない日常、親父が勤務先から帰ってくると「晩酌」をするのが当家の日課。そこで母親と祖母がその夜の「メインディッシュ」を何かしら用意している。夏場は鳥のササミの霜降りなどがごちそうだった。そんな中、お刺身でよく出てきたのが「カジキマグロ」。恐らく値段も含めて手に入りやすかったのだろうが、当家の看板メニューだった。

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 白身で淡いピンク色、味は淡泊である。子供の僕は、2きれくらいをご飯のお供として大事に食べていたように思う。大学生になって親父の晩酌に時々付き合うようになると、カツオのたたきやマグロの刺身がメニューに加わってきてカジキの登場は減っていった。田舎にもスーパーマーケットが進出し、それまでの鮮魚専門店に頼っていた「補給線」が多様になってきたのだろう。
 
 さて会社員になって田舎を離れると、さっぱりカジキのお刺身には出会えなくなった。一度下町の寿司屋で「カジキはないの」と聞いて呆れられたことがある。その後懇意になった郊外の店のマスター(いなせな包丁人だった)に聞いたところ、「まあ東京にはないね。下魚と思う料理人が多いよ」と教えてくれた。それ以降すっかり「カジキのお刺身」は諦めていた。
 
 近年沖縄に旅行に行くようになって、見つけたこともあるのだが、沖縄そのものが遠くなってしまい再び諦め・・・。ところが今回地元のスーパーに出かけたら、ほんの2~3パックだったけれど見つけることができた。ちょっとスジっぽかったけれど懐かしい味。これも40年ぶりですかね。

入れ替わりの激しい商店街

 最近近所の商店街が徐々に入れ替わっていて、古ぼけた薬局や日用品店が閉店した後に、炉端焼きの店とイタリアンの店が開業した。田舎ゆえ非常にゆっくりした新陳代謝ではあるが、ないよりはよほど良い。5~6年前にお酒の安売り店マインマートが、謎の台湾料理店に替わったのがその最初の兆候だったかもしれない。

 
 毎日通勤時・帰宅時に通るのだが、それほど興味は惹かれなかった。それでも近いのが取り得なので、今回行ってみることにした。例によってワインリストから見始める僕たち夫婦に、店員はけげんそうだ。4人席が6~7セットあるが、先客は2組だけ。いずれも軽めの食事、飲酒をしているように思う。

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 この夫婦がそれで済むわけがなく、まずビール瓶1本頼んで、飲んでる間に諸般の組み立てを考え始める。ワインリストは多くはないが、バリエーションはしっかり押さえている。おつまみにハムの盛り合わせ、イカゲソの唐揚げを頼み、その後明太子パスタとチーズ盛り合わせを食べることにした。その間、白ワインのデカンタを頼むのは、酒量が落ちた老夫婦ゆえである。(以前は、赤白1本づつ呑んだよね~)
 
 で、引き続きソーセージなどのお腹にたまるものを頼んで、チリの赤ワインを追加。ワインリストのいいところは、MAXで5,000円いかないところ。料理も含めて、リーズナブルなお値段。ただ開店して間もないせいか、店員の訓練は十分ではないようだ。気が利かないというか、自分たちの仕事に手いっぱいでお客を見ている余裕がない。
 
 最後のシメのワインは、なかなか美味しかった。でもこの店、成熟するには少し時間がかかるねと思っていた。ところが1年とたたないうちに閉店・・・。今は隣の炉端焼きと大差のない和風のお魚中心のレストランになってしまった。若い人たちがチャレンジするのは歓迎なのだが、こうあっさり撤退してしまうようでは見通しが甘かったと言われても仕方ないでしょう。

漁師さんたちの休日

 滞在中の日曜日、今日もよく晴れた。熱海の天気予報を見ていると、ずっと雨模様が続いている。ここ函館では、まれににわか雨こそあるが、良い天気が続いている。放射冷却の故、明け方は気温が氷点下になることもあるのだが。

 

 この日の朝ご飯は、朝市近くにある「どんぶり屋」に夫婦で行こうと思う。この店は、僕らが初めて函館を訪れた時に最初にご飯を食べたところ。今は無くなってしまった「北斗星」で朝早くに函館駅に着き、駅前で朝ご飯を食べたのだ。

 

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 とても美味しかったので、それ以来滞在中一度は足を運ぶ店だ。一度大相撲巡業の力士たちと一緒になって、その大きさ(と食欲)に驚いたこともある。今回もちょっと面白いシーンを見た。午前8時ころ入店すると、一番奥のテーブルに3~4人の先客がいてお酒を呑んでいる。壁一面に貼られたポスターやメニューの前で、相当良いご機嫌のようだ。僕らがメニューを見ているうちに、お開きになったらしい。

 

 「いくらだ・・・。お、安いな。釣りはいらねーよ」

 

 と威勢のいい声。霞ヶ関のキャッシュレス化推進の努力など無視した、「いつもニコニコ現金払い」である。これは日曜休日の漁師さんたちの「朝呑み会」だと思った。

 

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 僕らが注文したのは、二色丼(1,500円+税)。右が家内の「マグロ・エビ丼」、左が僕の「ホタテ・カニ丼」、これに各々カニ出汁のみそ汁が付いている。7~8種類の具から2つを自由に選べるもので、三色丼にすると+200円、四色丼だと+400円。

 

 みんな新鮮な具材なので、身の厚いプリプリのホタテは絶品である。家内はエビの(脳)ミソまで美味しそうにすすっている。ご飯には刻みのりがふりかけてあって、その香りも隠し味になっている。

 

 そのうちにまた3人連れが入ってきて、片づけられたばかりの奥のテーブルを指して「お、空いている」と嬉しそうに言う。身なりや常連風の所作から、この人たちも「漁師さんの朝呑み会」のようだ。旅行者だけではなく、土地の人も通うようならその店は「本物」だ。

 

 いつものように、みそ汁中のカニ殻から身を掘り出したし、最後のご飯一粒まで美味しくいただきました。また来ますよ。ごちそうさま。

裁判員裁判の行方

 ミナミの通り魔殺人事件について、最高裁が2審判断を支持し1審の死刑判決は覆された。被害者遺族はもちろんのこと、多くの人が「6人殺して無期懲役で済むのか」と慨嘆しているらしい。個別の事件についてはともかく、このところ1審で死刑判決が出ても2審でこれが覆されることが目立つ。法曹界ではない人たちによって出された結論が、法曹界にひっくり返されているということだ。もちろん死刑がない先進国の方が多いし、「目には目を」的な結論では困る。それでも、ひっくり返されすぎだという感覚が市井にはある。

 

 そもそも裁判員制度は、法曹界が一般市民の感覚とズレてきたのでこれを是正するために導入されたものだ。にもかかわらず法曹界の常識がまかり通っているとするなら、苦労して導入した意味がないことになる。「苦労して」と言ったのは、法曹界が素人への配慮で種々コストも時間もかけて体制を整備したことにとどまらない。普通に仕事をしている社会人が、結構長い期間拘束されて業務・企業・個人生活に支障をきたすことも珍しくないからだ。現実に、諸般の理由で裁判員を辞退する人は6割を超えているという。

 

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 その結果が「意味がない」ことになれば、誰も裁判員など引き受けないというのが、元大阪市長橋下弁護士の意見である。

 

https://hochi.news/articles/20191207-OHT1T50062.html

 

 最もな意見だし、僕自身も裁判員就任依頼が来たら、「意味があるようにしてくれないとやらない」とゴネるかもしれない。いや、多分ゴネる。

 

 現時点で多くの事件が2審までは行く、特に死刑という究極の刑罰が争われる事件が1審で終わりましたなどということは考えにくい。それならば、いっそ裁判員裁判を2審にしてはどうかと思う。1審は従来通りプロの裁判官がこれを裁き、2審に「一般市民の感覚」を導入したらどうだろう。

 

 最後に最高裁というゴールキーパーもいることだから、一般市民感覚で大いに議論して大胆な結論を出すのもいいではないか。1審の経過を裁判員候補の市民もメディアを通じて知っているから、先入観があってよくないとの意見もあるかもしれない。しかしそれも含めて市民感覚の結論を、というならそれもいいのではないでしょうか。