Cyber NINJA、只今参上

デジタル社会の世相をNINJAの視点で紐解きます。

追悼!ヒゲの大佐

 再度の緊急事態宣言が出てしまって、宣言対象地域外(ギリギリだけどね)の熱海でも、めっきり人出は減ったようだ。昨年4月のような閑散とした雰囲気になるのか、なったらなったで、ならなかったらそれもまた心配ではある。

 

 そんな騒然とした雰囲気の中、寂しいニュースが入ってきた。僕たちアナログシミュレーション仲間から「ヒゲの大佐」と親しまれてきた伝説のゲームデザイナー、鈴木銀一郎氏が亡くなったというもの。死因は老衰、86歳だった。米国でウォーゲームの父と言えばジェームズ・ダニガンだが、日本だったらさしずめ鈴木大佐だろう。

 

 僕が大学生だったころから、シリアスなシミュレーションのルールでゲームするウォーゲームが流行り始めた。もっぱら米国製が流れ込んでくるのだが、ルールブックの翻訳がいい加減だったり、そもそも翻訳が付いていなかったりして、僕らはずいぶん苦労した。そんな時代、何社かの日本企業が自製ウォーゲームの出版を開始してくれた。

 

 そのひとつがEPOC社。作戦級ゲームが多かった印象なのだが、日本語でちゃんとルールが読めるというのは、なによりの福音だった。ただでさえこの種のゲームのルールは複雑で、誤解している同士の対戦だとゲーム以前に喧嘩になってしまうこともあったからだ。

 

    f:id:nicky-akira:20210108173112j:plain

 

 その代表的デザイナーが鈴木大佐、「私は誰の挑戦でも受ける!」という決めぜりふが格好良かった。ただ戦術級、戦略級が好きな僕は、作戦級が多い大佐のゲームは初期の頃を除いてあまり買わなかったように思う。それらも引っ越しの都度減っていって、今は「書泉グランデ」で買った復刻版の「日本機動部隊」が残っているだけ。

 

Epoc Games - 新城彰の本棚 (hateblo.jp)

 

 翔企画から出版された「SSシリーズ」でも、「ロンメルアフリカ軍団」だけは買ってプレイしたものの、それもどこかに消えてしまった。短かった日本のシミュレーショオン・ウォーゲーム時代が終わると、大佐はしばらく地下に潜っていた。しかしバブル期に翔企画のカードゲーム「モンスターハンター(通称モンハン)」で復活劇を果たす。ただ僕自身はファンタジーゲームは苦手なので、脇から拍手していただけだが。

 

 とにかく僕の青春の1ページだったウォーゲーム、ひとりの伝説がお亡くなりになったのは厳然とした事実です。ご冥福を祈って、合掌・・・。