中島飛行機は、中島知久平が1917年に創業した、東洋最大の航空機メーカーだった。三菱の零式艦上戦闘機と並び、中島の一式戦闘機「隼」は、軽快な運動性を持つ軽戦闘機として名を馳せた。火力(12.7mm機銃2門)や航続距離で零戦に劣るものの、操縦士や燃料タンクを守る防弾能力では勝っていた。
中島飛行機は、そのほかにも、
・低翼、単葉、全金属の九七式艦上攻撃機
・初のインターセプター、二式戦「鍾馗」
・夜間戦闘機「月光」
・重爆撃機、100式「呑龍」
・高速艦上偵察機「彩雲」
・大東亜決戦機、四式戦「疾風」
らを生み出し、試作機にとどまったが、
・ジェット戦闘爆撃機「火龍」
など新技術にも挑戦していた。WWⅡ後、12社に分割されたが、そのうちの数社は富士重工業として存続「スバル」の愛称で国民車の一角を占めるようになる。

同社の幹部とイベントで同席させてもらったことがあり、控室の会話で、
「基は航空機メーカーなので、事故時の安全を守るのが大原則。昨年も国内の交通事故で、車内にいた人が亡くなったケースはなかった」
と話していたのを思い出す。米軍の規制があってずっと航空機は作れなかったのだが、すでにヘリコプターは量産していて、いずれは本格的に航空機分野に戻ってくる企業と思っていた。すると、
スバル製「新たな日の丸航空機」が飛んだ! 防衛装備庁に実験機を納入 試験飛行の映像が公開される | 乗りものニュース
にあるように、無人機ながら「日の丸飛行機復活」の狼煙を上げてくれた。トランプ関税砲で主目標とされた「日の丸自動車産業」だが、このような転身は可能だったということ。空飛ぶ自動車のような中途半端な変化技ではなく、正々堂々陸海空を制するドローン産業に生まれ変わってくれればと思う。
主力の追浜工場を閉めると発表し混乱のさなかにある某社も、早々にこの道へ進んでもらいたい(*1)ですね。幸か不幸か、世界中で軍用ドローンの需要は爆増しているのですから。