明治維新以後社会インフラはユニバーサルサービスだったのだが、今回これが外れるとすれば(ある意味)大きな発想の転換である。だからといって、僕は「水道法改悪で民間参入、市民の水が危ない」などと叫ぶ人たちに同調するわけではない。少なくとも4Gはユニバーサルなのだから、5Gの莫大な投資は経済原理に沿って当たり前。
これをもう少し進めて、5Gの領域が中長期的には都市計画(少なくともヒトがすむエリア)を決める可能性があるとも考えられる。今は人里はなれたところに住み、その家族だけのために電力、上下水道、電話、郵便などの社会インフラを維持しているようなところも無いではない。これがユニバーサルサービスのある種の課題だが、5Gがその頚木を外れたことで「コンパクトシティ」推進の原動力になるかもしれないと思った。
僕は決して意地悪で言っているのではない。黒澤監督の「七人の侍」前半に、小川を堀にした防衛戦を考える侍の棟梁が小川の外にある離れ屋3軒を撤収し野武士に利用されないよう焼き払うと言う。当然住人は反対するが、棟梁は「母屋は40余軒、離れ屋は3軒、母屋を失って離れ屋の生きる道は無い」と火をかける。決断すべきときにはしないといけないという棋理、これが僕の戦略論の原点なので・・・。