Cyber NINJA、只今参上

デジタル社会の世相をNINJAの視点で紐解きます。

機会の平等・結果の平等

 通常国会の終盤、重要視された法案が次々に通った印象がある。れいわの山本議員が体を張って採決を妨害した以外の、野党側の理不尽な抵抗はなかった。内閣不信任案の提出も、野党が結束できず「年中行事」として処理されている。

 

 防衛費増額は既定路線、子供予算倍増は財源先送りで、激しい論戦にもならなかった。しかし、LGBT理解増進法という議員立法は、与党も巻き込んでひどくモメた。自民党の一部が「差別はしないが、区別は必要」として採決に加わらなかったし、野党の一部は「これでは差別増進法だ」と、マジョリティを持つ人たちが性的マイノリティに対して「理解してやる」と上から目線だと非難した。もともとの超党派で合意した「差別禁止」から何歩も後退したとの主張だ。

 

    

 

 マイノリティ保護を訴えるダイバーシティ関連の議論は、他にもある。例えば骨太方針に入った「経営層に女性が少ないから、2030年までに役員の3割を女性にせよ」というのもその関係。出入国管理法改正で難民の申請中でも強制送還可能としたのも、根っこのところでは繋がっているかもしれない。

 

 別ブログでこんな書を紹介している。

 

技術の公平な配分という難題 - 新城彰の本棚 (hateblo.jp)

 

 筆者は、社会的弱者にこそデジタルデータを活用したケアをすべきと主張している。これは非常な難題で、デジタル技術を十分に使いこなせるなら貧困に陥る可能性は低い。これまでも機会はありながら使えないままの人に、デジタル技術を使ってもらうのは難しい。この議論は、昔よくやった「機会の平等か結果の平等か」と同じ。

 

 機会の平等を強調しすぎれば、新自由主義者となじられる。結果の平等が100%保証されるなら、これは(理想としての)共産主義だ。世代を超えた格差の固定を排するなど機会の平等を確保し、その上である程度結果の平等も配慮するというのが、正しいように思いますが、どの程度かについては議論が分かれるでしょうね。