Cyber NINJA、只今参上

デジタル社会の世相をNINJAの視点で紐解きます。

必要かどうかをよく考えて

 いろいろ考えさせられることの多いGWだった。きっかけは憲法論議、いつものように、護憲・立憲・改憲・加憲などの議論が、ニュース番組などを賑わせた。共産党が「憲法は1文字たりと変えてはいけない。自衛隊違憲だけれども、国民を守るために闘ってもらう」と主張したのは噴飯ものだった。憲法論議として、

 

憲法が先か、防衛が先か - 新城彰の本棚 (hateblo.jp)

 

 で紹介した、京都大学佐伯啓思名誉教授の「憲法廃止論」に一番衝撃を受けた。公権力と市民の関係で、憲法で公権力を縛らないと民主主義にならないというのは当然。しかし「日本のように公が私を包含して、その上に天という概念がある国なら、民主主義を唱える必要もないし、憲法も要らない」という論理には、感動した。

 

 またフィンランドにはPTAも運動会などの行事もなく、学習は義務だが通学は義務ではないという、フィンランド大学の岩竹美加子教授の書にも驚いた。日本とフィンランド両国で子育てを経験した「母親」としての意見なので、リアリティがある。

 

ロシアとの一番長い国境 - 新城彰の本棚 (hateblo.jp)

 

    

 

 憲法や義務教育という、僕らが(空気のように)当たり前と思っていたことが、実は必須ではないと識者たちは教えてくれる。

 

 ふと振り返ると、人生には「当然」と受け止めよく考えもせずやってきたこと、買ったもの、時間をかけたものがあるような気がする。子供の頃だと、そろばん塾・英会話教室などの習い事。本当に好きならいいのだが、隣の誰かも行くから・・・というのでは意味がない。中学・高校のクラブ活動、本当に全員参加が必要なのか。大学での義務的な「飲み会」。就職すれば、企業ぐるみでの生命保険、組合員活動。

 

 そして自動車を買い、結婚して家を持ち、企業内の閉じたコミュニティに安住してゆく。それなりのポストに就けば、ゴルフの会員権を持ち(滅多にいかない)別荘も欲しい。僕自身はこれらのことの半分もしていないが、今の年齢になると「無駄だったな」と思うことも多い。

 

 中国の都市部で必死に格差社会で這い上がろうとすることをやめ、「寝そべり族」としてその日を過ごす人が増えている。それとは違う意味だが、日本の若い人も「人生に必要なもの」を見分けるインテリジェンスを持って欲しい。

 

 あ、一つだけコメント。奥様(配偶者)だけは必要ですからね。お忘れなく。