先週ノルウェー沖の海底で、ドイツ海軍の軽巡洋艦「カールスルーエ」が発見されたことを紹介したが、今度は極東である。日清戦争当時の沈船、戦艦「定遠」の装甲板が引き上げられたという記事があった。
https://www.afpbb.com/articles/-/3306245
「定遠」は清国海軍の戦艦、同型艦の「鎮遠」と並んで「東洋一の堅艦」と呼ばれた。ドイツ製で装甲艦「ザクセン」をベースとし、これを上回る戦闘艦は東洋にはなかったからだ。
◆定遠
・排水量 7,144トン
・最大速度 14.5ノット
・装甲 最大355mm
・兵装 305mm砲連装2基4門、150mm砲2門、57mm速射砲2門、47mm速射砲2門、37mm砲8門、魚雷発射管3門
・艦載艇 3隻
典型的な前ドレッドノート型戦艦(正確には装甲艦)で、浮かぶ砲塔群のような船である。雑多な砲が積んであってどう役割分担していたのか分からない。日本海軍はこれに対抗して、「三景艦」という防護巡洋艦を3隻建造した。その1隻が「松島」。
◇松島
・排水量 4,217トン
・最大速度 16ノット
・装甲 最大75mm
・兵装 320mm砲1門、120mm速射砲12門、47mm砲6門、37mm5連装砲2門、魚雷発射管4門
両海軍の主力艦たるこの5隻は黄海海戦で闘うのだが、「松島」艦上で重傷を負った兵士が副長を呼び止め「まだ定遠は沈みませんか」と聞いたというのが、美談として伝わり軍歌にもなった。「松島」にも305mm砲弾は命中していたのだが、日本側の320mm砲弾は1発も当たらなかった。それでもこの海戦に日本側が勝てたのは、速射砲の威力だったという。「定遠」は早々に艦橋を破壊され、沈まなかったものの引き揚げざるを得なくなった。後に威海衛で雷撃され、戦闘不能となって自沈する。
中国政府はこれらの海戦から列強侵略が始まるとして「屈辱の歴史」と捉えてきたが、昨年夏に「定遠」の沈没場所が分かると潜水調査を始めた。艦内にアヘンがはびこりろくに戦えなかったとの噂があったが調査ではアヘンは見つからず、乗員の多くが艦内で闘って死んだという。この報道自身正確かどうかは分かりませんが、再び海洋進出を企画する今、国民の意識高揚にはつながると考えたのでしょうね。