Cyber NINJA、只今参上

デジタル社会の世相をNINJAの視点で紐解きます。

在米日本大使館

 ワシントンDCには各国の大使館が集まっている。例えば、かつての定宿「Lombardy」の側には、メキシコ大使館がある。日常的に大使館を目にするのだが、特にそれらが集まっている通り(通称:大使館通り)がある。この通り、正式には「マサチューセッツ・アベニューNW」という。

 
 DCは碁盤の目のように道路が整備されていて、横軸はアルファベット、縦軸は番号で示されるので分かりやすい。例えば今回のソフィテルホテルは、H-Streetと15th-Streetの交差点に建っている。しかし縦軸・横軸だけでなく、ナナメに走る通りもいくつかあって、その結節点としていくつかの「Circle」がある。パリの凱旋門のところをイメージしてもらえるとわかりやすい。6本以上の道路があつまってきて、Round Aboutするのだ。
 
 ホワイトハウスの北東にある「Dupont Circle」から北東に伸びるのが、この大使館通り。「Dupont Circle」から1kmほど行くと、左手に見えてくる建物が日本大使館である。出張の折、2~3度ここでのパーティに参加した。相当古い建物で、とりわけ豪華というわけではないが荘厳な感じはする。正面玄関上の大きな「菊の御紋」が金色に光っている。

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 お寿司などつまみながら 話し込んでいると、大使館に出向している霞ヶ関の人が手招きしている。なんだっけ、とそちらに行くと、ガランとした部屋に案内された。今は使われていないようだ。
 
 「ここが、宣戦布告文書をタイプしたところです」という。1941年12月7日、真珠湾攻撃に先だって宣戦布告文書を米国政府に渡さないといけない。しかし本国からの指示は「(米国に内通する可能性のある)専門のタイピストは使わないこと」となっている。暗号解読の手間もかかり、結局手交できたの時には、真珠湾は火の海だった。このあたり、映画「トラ・トラ・トラ」で生々しく描かれているが、おおむね史実との違いはないという。
 
 運命の舞台がここだったのかと、歴史好きの僕はしばらくそこに立っていました。まるで70余年前をのぞけたかのような気分になって。