Cyber NINJA、只今参上

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なぜユダヤ人とペルシア人が闘うの?

 イスラエルがシリアのイラン領事館を攻撃し、イラン革命防衛隊の司令官らを殺害したことに端を発し、イランのイスラエル本土攻撃、イスラエルの反撃・・・と中東の緊張が極限に近く高まっている。ご存じのようにイスラエルユダヤ人国家、パレスチナをはじめアラブ民族との対立は根深いのだが、イランはイスラム教国ではあるがペルシア人。なぜユダヤ人とペルシア人が闘うのだろうか?きっかけは、1979年イランでイスラム革命が起き、パーレビ王朝が倒れた時にさかのぼる。

 

イスラエルとイラン、なぜ45年にわたり対立?1979年のイスラム革命が起源:写真 : 読売新聞 (yomiuri.co.jp)

 

 パーレビ王朝は米国をバックに、圧政を敷いてきた。これをホメイニ師らをかついだイスラム勢力が倒すのだが、パーレビがイスラエルとも良好な関係を持っていたことで対立が始まる。

 

    

 

 イスラム教徒の聖地エルサレムを占拠しているイスラエルに対し、ペルシア人ではあるが新生イランは敵対し始める。ハマスやフーシ派、ヒズボラらを支援して現在に至るのは、上記の記事が整理してくれている。

 

 聖地奪回やパレスチナ解放を掲げているが、イランの本音はイスラエルではなく米国への復讐だ。パーレビは米国に逃れて死んだが、イランには恨みが残り1979年11月には「米国大使館占拠事件」まで起こしている。この事件では、米国カーター政権の救出作戦も失敗し、米国側にも大きな傷を残した。

 

 そこから米国対イランの対立が深まり、かといって直接戦火を交えられないので、イスラエルとイランが支援するヒズボラらとの代理戦争が続いてきたわけだ。したがって、まだ米国こそ参戦していないが、イスラエルとイランが攻撃し合う事態は、1段階上のステージである。だからこそだが、両国は抑制的な攻撃にとどめている。

 

 そもそも、パレスチナの地にイスラエルを建国したことも大きな火種。この背景については、元モサドの作家マイケル・バー=ゾウハーが、この歴史小説で描いてくれていますよ。

 

イスラエル建国前史、WWⅠ - 新城彰の本棚 (hateblo.jp)