Cyber NINJA、只今参上

デジタル社会の世相をNINJAの視点で紐解きます。

企業の責任、世論の責任(後編)

 フィリップ・マーロウの有名な台詞に「男はタフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている意味がない」というものがある。これを現代の企業にあてはめると「企業は儲けなければ生きていけない。社会を支える存在でなければ生きている意味がない」となるように思う。

 

 目前の利益を考えれば、CO2規制や種々のSDGs関連の費用は出したくない。課題があれば、社会を(直接・間接は別にして)支える役割は誰かに任せたいと思う。しかし今はそういう努力をしている企業が評価されるような風潮も出来てきた。経済安全保障に重要なことなら、例え政府の支援が無くても続けるくらいのことは、ある意味企業の責任と言えるかもしれない。

 

 もちろんそれには「ちゃんとした国家戦略」が必要だが、政府に堂々とそれを求め自らも協力する姿勢を示すのが、産業界の務めだと思う。もう時代遅れで不要だと言われることも多い「経団連」も、そのような動きができるなら貴重な存在だ。

 

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 次に世論の責任だが、その多くはメディアが担うことになろう。先月の「朝まで生TV」では、テーマはオリンピックのはずだったのにかなりの時間が「COVID-19」に費やされた。例えば、なぜ日本の製薬会社はワクチン開発が遅いのかという話。メディアは政府の無策と支援カットを非難するだけだ。

 

 しかし「薬害問題」が日本では重く、企業が事業を展開しづらい環境にあるとの指摘があった。これはメディアが過度に企業を叩いた結果、そんな世論を作ってしまったのではないか。政府の実行部隊である官僚組織は、世論を刺激することを恐れる。だからワクチン接種予約でも、あるいは昨年の特別定額給付金支給の時でも、マイナンバーの活用は限定的だった。これもマイナンバーを「政府が市民を管理するためのもの」との刷り込みをメディアがしているからではないのか。

 

 ちゃんと説明していない政府(官僚機構)にも問題は残るが、「政府を信用するな」と主張するメディアにも責任はあろう。市民が政府を信用しないと言うが、政府も市民を恐れているのだ。無論メディアだけではなく、市民にも政府の説明に「耳を傾ける」姿勢は必要。またメディアを識別するリテラシーも鍛えてもらいたい。

 

 少なくとも、福島の処理水のことを「汚染水」と連呼するような番組は、信用しないでいただきたいのですが。