ある大手電機メーカーに就職し、配属されたのは故郷に近い所員1,000人ほどの小さな事業所。同期入社の新人大卒は8名だった。この会社には所員数千人という大規模な事業所も珍しくないのだが、これは巡り合わせ。一応の配属希望は出来るのだが、メンバーシップ型ゆえ「人を雇っておいて仕事を割りつける」から希望が通らない方が多い。
配属先は非常に小さな課、だけれども事業所にとって重要な新プロジェクトをやるというので研究所と連携することになり、数ヵ月国分寺に派遣された。配属1年後に初号機がロールアウトしたのだが、どういう事情か入社3年目に製品が他の事業所に移管されることになった。課長は子会社に転身、課員はバラバラになった。本来なら製品移管につれて、その(ちょっと大きな・頭の固そうな)事業所に僕自身も移籍するのかと思いきや、僕は事業所の所有物らしく囲い込まれたままになった。
残務整理をしているうちに、驚くことが起きた。副事業所長が呼んでいるというのだ。何事かと思ったら、大森に本社機構の一部があったがそこへの転勤だという。その本社機構が傘下に持っている事業所(僕のより数倍大きな事業所ばかり)から各1名の課長級が集まって戦略を考える、役員のためのスタッフ部署だった。
ここでも人事手続き上は僕は転勤しているのに、扱いは出向のようなもの。この会社の構造が、事業所が一つの会社で事業所長が社長に相当するらしい。だから僕は、最初に配属された事業所の所有物のままなのだ。とはいえ、博士課程に行ったつもりの3年+2年で大きな企業の内情、つまり、
・事業所は、町工場
・研究所は、大学
・本社は、官僚機構
だと分かったのは僕個人にとって大きな収穫だった。いろいろな部門につながりも出来たので、本社機構から大きな事業所を一つ経由して最初の事業所に戻った時には30歳をいくつか過ぎていた。なぜ戻ってきたかと言うと、中央に近い事業所では資源(ヒト・モノ・カネ)は豊富だが、本社機構の監視が厳しい。田舎事業所は中央の目が届きにくいので、面白いことができると考えたからだ。
面白いことの中には、新しいプロジェクトを起こしやすい事業所内の構造改革が入っていた。この改革の重要な部分が、今でいうDX人材育成でもあるしその基盤が「ジョブ型雇用」でもあったのだ。
<続く>