Cyber NINJA、只今参上

デジタル社会の世相をNINJAの視点で紐解きます。

40枚の名刺

 まだ「COVID-19」禍は収まっていないのだが「マンボウ」も終わり、東京オフィスへ通う日が増えてきた。実は、オフィスの移転が迫っているのだ。もう6年ほど通った丸の内のオフィスともお別れである。これを機会にいろいろなものを整理しようと、今週も2回出勤した。このオフィス自体は6年だが、この企業には40年も居る。

 

 知らず知らずのうちに「垢」が溜まっていて、引き出しの奥から入社以来の自分の名刺を入れたファイルを見つけて驚いた。

 

・所属組織の名前が替わる

・別事業所への転勤

・昇格および職名変更

・事業所内異動

・別部門の兼職

・業界団体、大学など社外機関の兼務

 

 で名刺が替わるたびにサンプルを残しておいたのだが、40枚ほどあった。在籍1年間に1枚の割りである。飽きっぽい性格の僕が「お家一筋40年」というあり得ないキャリアを積めたのは、このように社内での異動が多かったからだと、いまさらながらに思う。

 

 入社当初はコンピュータ関連機器の設計・開発の仕事、ところがその機種が別事業所に移管されることになって、2年周期の転勤を繰り返した。普通の技術者は、ある機種の担当になったら最低10年、場合によっては会社人生のすべてをその機種と共に送る。それが幸せという同期の連中も少なくなかった。

 

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 彼らから見れば僕は「不幸な流浪の民」なのだが、そのおかげで社内を幅広く見ることができ、それなりの人脈も出来た。モノを作って売るというのではなく、作ったモノがどう使われるのか、使ってくれる企業にどう役立つのかを考えなくてはと思ったのも、一事業所に閉じ込められていなかったからだろう。積極的に、社外の人と交わるようになった。

 

 それがやがて社外の業界団体・行政機関・大学・シンクタンクなどの研究機関・政界などへと広がり、今は社外人脈で生き延びている。どちらが幸せだったかは、個人の認識に任せればいいかと思う。40枚の名刺を順番に眺めていたら、40年間の記憶の断片がよみがえってきた。

 

 机の整理に一区切りつけ、早めにオフィスを出て新橋へ。ちょっとした買い物をして、駅前の「かつや」に入った。今日は禁酒日のディナーとして、少し張り込んで「ヒレカツ定食」869円を頼んだ。40年あまりの過去を見てしまった日だから、このくらいは贅沢とは言わないでくださいね。