中国の歴史書を読んでいたら「屯田兵」を最初に考案したのは、三国志の英雄曹操であったと書いてあった。いわく、
・軍を支えるのは食料である。
・しかるに農民から略奪すれば、軍は支持を失う。
・農民は逃散するか武装する。
・ならば最初から武装している兵士に、食糧生産をさせてはどうか?
ということらしい。曹操は官渡の戦い(200年)で袁紹と対峙したおり、烏巣の補給基地を急襲して凱歌を上げたことがある。戦争とは補給戦であることを、良くわきまえた将軍だったのだろう。
・軍を支えるのは食料である。
・しかるに農民から略奪すれば、軍は支持を失う。
・農民は逃散するか武装する。
・ならば最初から武装している兵士に、食糧生産をさせてはどうか?
ということらしい。曹操は官渡の戦い(200年)で袁紹と対峙したおり、烏巣の補給基地を急襲して凱歌を上げたことがある。戦争とは補給戦であることを、良くわきまえた将軍だったのだろう。
さて、時代は下って20世紀後半の日本。コンピュータがらみの開発が目白押しになっていたころ、どのベンダーも元請会社だけでは需要を賄えなくなっていた。関連会社とか協力会社から要員の補充を受けたり、タスクのうちのある単位を丸ごとお願いすることは日常的なことになっていた。
いわゆるIT要員を、元請会社だけで確保することは難しい。供給源(大学・高専・高校)の問題もあるが、ある程度年齢がいってからの処遇を考えると元請会社の採用には上限があるからである。
一方、若い人材を大量に抱え、将来を考えると元請会社からだけの発注に頼っていることが不安になった「関連会社」としては、自ら事業を興し独自受注を図ろうとする。徐々に独自事業が膨らんできたところに、元請会社から「無理な日程・開発量」の要求が降ってくることもある。そもそも、元請会社もお客様から「無理な日程・開発量」を押し付けられているのかもしれないが、この圧力は相当なものになる。
だからといって、独自受注・開発に振り向けていた「精鋭部隊」を元請からのプロジェクトに振り向けるわけにはいかない。こちらも、お客様との約束があるのだから。
そこで「屯田兵制度」というのを考えたものがいた。つまり、精鋭部隊を昼間は独自プロジェクト(戦争)に充て、夜間は元請プロジェクト(農耕)を担当させるわけ。完全な労働基準法違反だが「24時間戦えますか」の上司が指揮していた時代なのだから、まあ大目に見てあげてください。