僕の母方のルーツが甲賀の国にあり、祖父は太平洋戦争が激化したころ小さな庭に成長の早い草を植え、食料の足しにしたと聞いた。魚のアラの調理法などに詳しく、サバイバルの心得があったようだ。薬の行商をして多くの国を巡っていたこともあるらしい。これは江戸時代(あるいはそれ以前)からの甲賀の民のワークスタイルに重なる。
また大友皇子と大海人皇子が争った「壬申の乱」を扱った豊田有恒の小説に、大友皇子を守って戦う渡来人の活躍や大海人皇子自身が渡来人であることが描かれていた。伊賀や甲賀は渡来人が大和の国に住み着いた拠点だったとの説である。
「忍者」は飛んだり跳ねたり人並外れた身体能力を発揮するというよりも、いろいろな先端技術を駆使して働く人たちだったのだろう。その技術が渡来人のものだったかどうかは、定かでない。
多くの日本人には「忍者」に対するある種のあこがれがあって、それが伊賀の里、甲賀の里など各地の街おこしに一役買っているのも事実だ。そんな企画の総まとめのようなものが忍者月間(2/1~22)と忍者の日(2/22)だろう。2/22が忍忍という言葉にかけてあるだけのことだが、結構派手なキャンペーンを打っている。