Cyber NINJA、只今参上

デジタル社会の世相をNINJAの視点で紐解きます。

これより奥州・・・はせを

 久しぶりの東北新幹線である。目的地は新白河。ある大手企業の研修センターがあり、90分ばかりのスピーチをさせてもらうことになったのである。新白河駅までは、東京から1時間20分ほど。E-5型の新しい車両だったせいか、ゆれはほとんど感じられない。

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 午後一番からの出番なので、車内でお弁当の昼食にした。駅弁は昔から大好きなのだが、味が濃い目でカロリーが高そうなのが今の年齢となっては問題。あまり利用しなくなったが、今日だけは例外としようと自分に言い聞かせる。肉団子・焼き魚・鶏肉を中心にした3コマと、ご飯が1コマ。見た目ほど重くなく食べられた。到着してみると、東京ではまだ暑い日もあるが、空気はさわやかな秋のものに替わっていた。
 
 この企業の研修センターは駅からタクシーで10~15分程度、大規模な宿泊施設を伴った立派なもので、常時500~1,000名の研修が行われていると聞いた。最大キャパは、2,000名にも上るという。聴衆は30名ほど、スピーチ後の質問も活発に出てまあまあの反応だった。
 
 タクシーで駅まで戻ると、往路には気付かなかった銅像が駅を背景にひとつ。松尾芭蕉の像の下に「奥の細道」の文字がある。この近く、白河の関から先は「奥州」である。芭蕉はこれを「奥の細道」と呼んで、俳句集の題名にした。(句集にしたのは門人の曽良だということだが)

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 斎藤栄のミステリーに「奥の細道殺人事件」というものがあり、やはり高校生のころ読んだ記憶がある。松尾芭蕉は伊賀の国出身だったこともあり、公儀隠密として伊達家を含む奥州雄藩を探りにいったのだという伝説がある。有名な景勝地松島で「ああ松島や」の1句しか詠んでいないことから、伊達家を探るのに忙しかったのだろうと言われている。
 
 僕としては、芭蕉(はせを)が忍者だったかどうかはともかく、当時の文化人はみんな情報流通の担い手だったと思う。茶の湯の席は格好の密談の場、行商人を含め旅人は何らかのリサーチャーだったと、この像を前に思いました。