Cyber NINJA、只今参上

デジタル社会の世相をNINJAの視点で紐解きます。

サンタンジェロ城

 サン・ピエトロ広場の圧倒的な群衆と照り付ける日差しから逃げるように、僕らはサンタンジェロ城に向かった。広場から東へ500mほど行ったところにある大きな城郭がそれ。実際この城はヴァチカンの避難所であり、先日紹介した「ローマの略奪」のおりには、クレメンス7世はここに避難した。

 

 ローマの中心市街地からサンタンジェロ橋でテヴェレ川を北に渡ったところにあるこのお城、もともとは皇帝たちの霊廟である。ガイドブックには「ハドリアヌスの霊廟」とあるが、ハドリアヌス帝からカラカラ帝まで歴代皇帝がここに眠っている。テヴェレ川に隣接して下部が正方形、上部が円筒形の建物がある。これを囲むように内堀があり、30m幅ほどの半円形の回廊があり、北に向けた3つの突角部がある。その外側は外堀で、北方からの攻撃に備えている。2つの堀の幅は30~50mほどある。

 

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 この突角部は矢印のような形状をしていて、外堀の外の敵や堀を渡ってくる敵兵に対して弓などで攻撃できる。3つの突角部がお互いの死角をカバーして、どこにいる敵兵も狙い撃つことができるわけだ。堀の幅も、これ以上広いと弓矢の有効射程を超えてしまうので、このくらいが妥当。広ければいいというものではない。二つの堀の中間にある回廊を歩いてみた。かつてはここに防衛用の建物があったはずだ。守備兵の配備や移動を秘匿し、外部からの射撃を防ぐためのものだ。

 

 すでに2,000年近い歴史をもつこのお城(建物)で、590年にペストが蔓延した時にはこの上に大天使ミカエルが降臨してペストの終息を予言したとも伝えられる。だからというわけではないが、屋上はじめ周辺には多くの宗教的な像が置かれている。中にはありがたい像もあるのだろうが、そこは軍事ヲタクの異教徒、興味はどうしても軍事要塞の構造に目が行ってしまう。ごめんなさいね。