1974年といえば、僕が大学に入った年。確かにそんな事件もあったかなと思い出したのは、三菱重工など企業連続爆破事件。「東アジア反日武装戦線」というテロ集団が起こした事件だった。その一味で50年近くに渡って逃走を続けていた、重要指名手配犯桐島聡容疑者と見られる人物が病院で死去した。
50年近くともなれば、公訴時効はとっくに過ぎていたはず。どうして名乗り出なかったのだろうと、素朴に思った。国外にいた場合には時効は進まないが、35年も海外にいたわけでもあるまい。ところが調べてみると、彼には公訴時効は適用されていないことが分かった。
高校生の頃に六法全書を買って勉強し(*1)その中の刑事訴訟法を読んで、
・殺人罪でも公訴時効は15年
・海外にいた間は時効は進まない
と思い、今も知識はその時のままだった。
刑事訴訟法は2000年に大きな改正が行われて、現時点では公訴時効について規定が変更されていた。
1)死刑が最高刑の罪状については、時効ナシ
2)共犯者が公訴されている間は、時効は進まない
の2点が桐島容疑者の場合適用されて、50年経っても時効にはならなかったのだ。ひょっとすると、事件(死者も出ている)への関わり方によって、爆発物取締罰則違反だけなら時効は15年、殺人未遂だったら同25年である。しかし、少なくとも2番目の項目で、公訴時効は進んでいなかった。
というのは、共犯者と目される大道寺あや子被告人の公判が終わっていないからだ。時系列でいうと、
・1974年 事件に関与
・1975年 爆発物取締罰則違反で逮捕、起訴される
・1977年 日本赤軍による「ダッカハイジャック事件」で釈放され、現在も国際手配中
ということになり、彼女の共犯である桐島容疑者の公訴時効は事件の翌年で停まったまま(*2)になる。
刑事訴訟法の改正や、共犯の公訴中は時効が停止することなど知らなかったことを恥じてます。それにしても(年齢もそんなに離れていない)桐島容疑者の49年の逃走はどんな日々だったのでしょうか?
*1:当時はヤクザなITエンジニアではなく、刑事弁護士志望だった(笑)
*2:他に重要指名手配犯だと公訴時効がないという記事もあったが、未確認