Cyber NINJA、只今参上

デジタル社会の世相をNINJAの視点で紐解きます。

大学院で学ぶ意味

 今もそうなのだろうか?45年前、大学4年生の夏休みは僕にとって最大の受験勉強期だった。9月には大学院の入試が控えていたのだ。家庭にエアコンが無かった時代、全国有数の熱帯エリア名古屋のあの夏も暑かった。

 

 何とか掴んだ大学院への入学、苦労しながらも修士課程を終えて、大手メーカーに就職することができた最初の人生切符と言える。そんな大学院の価値を巡る記事がいくつか目についた。

 

「高学歴」の二極化により、頂点に立つのは「教育」になんの価値も見出さず、中退して自ら事業を起こす「とてつもなく賢い若者」 | シンプルで合理的な人生設計 | ダイヤモンド・オンライン (diamond.jp)

 

 「上級国民・下級国民」などの著書で知られる論客橘玲氏の論説。大学卒は普通になっているとの前提で、大学院の+2~5年に意味があるのかと問うている。

 

    

 

・大学院修了、満了はそれなりの価値を人生に与えてくれる

・しかし本当に優秀な層は、時間を空費せず10歳代で起業などする

 

 というわけ。いわゆる優秀層は大学院卒の学歴を欲しがるが、最優秀層(0.1%?)はそんなものは不要で実力勝負というわけ。それは正しいのだが、テック企業でも一人でできるわけではない。CEOは最優秀層でも、財務・法務・調達・実装などの専門家の支えは必要で、優秀層やその他の人達の協力は不可欠だ。

 

 これが社会全体となると、もっと優秀層以下の能力が必要になる。問題視されているのは、日本全体の学歴(学力?)不足という現実。

 

博士課程進学者、ピーク時の約半分に 「低学歴国」ニッポンの現状:日経ビジネス電子版 (nikkei.com)

 

 これは最優秀層でない人たちでも「大学院時代は時間の空費」と捉えている可能性もあるし、僕が大学院生だった時代にも感じた「博士課程を出ると将来が狭まる」という感覚からだろう。大学院で学ぶ意味は、修士了・博士了の人材を企業等がどう活かすかに掛かっていますよね。