Cyber NINJA、只今参上

デジタル社会の世相をNINJAの視点で紐解きます。

「Trusted Web」の議論(2)

 もともと誰でも情報を発信し、書き込みができるのがインターネット(Web)の特徴。だからそこにあるデータは玉石混交が当たり前、「Trusted Web」とはある意味矛盾した言葉なのだ。ただ過去にも、「Semantic Web」という信頼されるWebの構想はあった。これからの社会は「DATA Driven Economy」だと思い、データを使う経済を推し進めようとしている僕らにとっても、そのデータが信頼できるかどうかは大きな問題だ。

 

 ただリアル社会のモノ(の品質)のように、どこかで抑えれば信頼性が上がるとは限らない。データは転々流通していくうちに無限にCopyできるし、改変だってできる。流通過程を全部抑えることなど不可能だ。そのデータを作成した責任者でさえ、「完全に消去した」と保証することなどできないのだから。

 

https://nicky-akira.hatenablog.com/entry/2019/12/04/060000

 

 「Semantec Web」の目指すところはいいとして、コストを含めてそれが可能かとなると局地的な実現以上のことはあきらめざるを得なかったのがこれまでだった。ただ「Semantec Web」を議論していた20世紀末に比べ、今はデータの量も社会への影響度も数桁違いになった。

 

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 何かをしなくてはという気運もあって、昨年1月のダボス会議で安部総理が「DFFT:DATA Free Flow with Trust」という概念を打ち出した。これ自体は、デジタル世界をリードする日本という印象を各国に与える意味は十分あった。ただ概念だけではなく具体的な国際政策が打ち出せるかが、次の課題になる。

 

 そして僕から見るともう一つの課題として、データ活用の議論よりもデータガバナンスの議論が先行してしまったことが挙げられる。先日内閣官房に設置された「デジタル市場競争本部」の事務局と意見交換する機会があった。彼は日本(産業界)で、米国ほどデータ活用が進まないのは、

 

・日本企業全体のDX(Digital Transformation)が遅れている。

・一部の巨大事業体にデータを握られることに市民の反発が大きい。

・データの扱いを含むデジタル市場全体に、市民が信頼を置いていない。

 

 からだという。

 

<続く>