Cyber NINJA、只今参上

デジタル社会の世相をNINJAの視点で紐解きます。

データに関する権利

 時代は「DATA Driven Economy」になっていると、何度か申しあげてきた。データというと個人情報の話ばかりが先行し、GAFAが僕らのデータを勝手に使って儲けているとか、デジタル庁はマイナンバーを使って市民のデータを集めようとしているなどという議論ばかりが目立つ。

 

 ただデータは誰のもの論議も、一向に収束しない。データの権利といったところで、抱くイメージは十人十色である。今回憲法個人情報保護法に詳しく、データの流通・利用と保護のバランスを研究している法学者とお話する機会があり「データに関する権利」の基本的な整理を教えてもらった。

 

 データそれ自体に対する権利というのは、まだ定まっていないのが専門家の間の定説。しかしその周辺の権利は、大部見えてきた。

 

1)データの利用により影響を受ける権利:人格権や営業秘密

2)データの利用そのものを対象とする権利:表現の自由、営業の自由

3)データの利用に関する道具的権利:損害賠償請求権、利用停止・削除請求権

 

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 我々が目指しているのは、データの流通・利用による利益と保護による利益のバランスだが、いずれにしても複合的なアプローチで解を見つけていくしかないと彼は言う。どんなアプローチの複合かと聞くと、

 

・所有権的アプローチ:デジタルの特性上、限定されたケースしかない。

・財産権的アプローチ:適切だが、個々のデータ単一では価値が低い。

・人格権的アプローチ:人格権そのものが明文化されていない恨み。

・基本権的アプローチ:例えば、政府やGAFAなど相手の自己情報コントロール権。

 

 などがあり、加えて契約も当事者間には大きな影響力を持つとのこと。自由で民主的な社会においては、データに関する権利と同時に3つの自由もある。

 

1)データによる自由

 市民の知る権利や、メディアの報道の自由がこれにあたる。

2)データへの自由

 アクセス権が代表的、取材の自由・情報公開、個人としては自己情報コントロール権。

3)データからの自由

 プライバシー保護、通信の秘密、あるいは「忘れられる権利」など。

 

 法理論からするとこのような整理になるのだが、実際に上記のバランスをどうとるべきかという議論になり、結論は、

 

「どのデータを誰がどのように使って効果を産むか」

 

 というモデルを早期に公表し、マルチステークホルダーで議論することに収まりました。これには僕も納得です。