データを扱う企業を含め市場全体に対して市民の信頼がないから・・・という懸念は、間違いだというつもりはない。ただそれだけの理由で、日本では他国に比べてデータ活用が進んでいないというのは無茶な話だ。僕に言わせれば、本稿の最初に述べた4条件が整っていないことが阻害要因だ。再掲すると、
1)データに国境を越えてアクセスできること
2)フォーマットやIDが標準化されデータがすぐに使えること
3)データ活用で「儲かる」ビジネスモデルがあること
4)社会的コンセンサスが得られ、炎上しないこと
この中で、特に3)4)の条件が満たされていないからだと思う。まずは3)で、Googleでさえ貯め込んだデータの97%はマネタイズできていないと言っている。じゃそれでなぜビジネスが廻るかというと、膨大な広告収入を「今のところ役に立っていないデータのHDD代金」に充てることができるからだ。
さらにいかに儲かるビジネスモデルでも、社会の容認が得られなければ継続できない。だから、僕は日米欧の企業に、
・どこで得られたどんなデータを、
・誰が何の目的に使い、
・どのように儲けるか、さらに社会に還元できるか?
というユースケース案を出して欲しいと頼んでいる。競合他社に知られたくないという企業さんには、「市民を含めた国際社会で容認されなければ、どのみち事業にはならないのですよ。だから構想段階から社会全体で議論しましょう」と言っている。
しかし今回議論した内閣官房の事務局は、例えば「Block-Chain技術」などを使ってデータの信頼性を担保し、企業がデータを悪用しない様なルール・それを監査できるスキームを作り、データの発生源たる個人/法人が不正利用を止めることができるようにすることを目指しているようだ。
この話を聞いて、古いイソップ童話「北風と太陽」を思い出した。霞ヶ関の議論は産業界に北風を吹き付け「これでもデータ活用しますか?できるものならやってみろ」と言っているように聞こえたのだ。それよりは僕のように「こうすれば儲かるだろうし、社会全体も容認してくれるよ。だから工夫しましょう」と言った方が建設的なのではないか?
ただこの両者、思わぬところで共通点があった。それは「ユースケースを発掘しよう」ということ。
<続く>