Cyber NINJA、只今参上

デジタル社会の世相をNINJAの視点で紐解きます。

IT戦略という指針(1)

 20世紀、日本でIT/ICT政策というのは2つの分野に限定されていた。ひとつは、通商産業省(のちの経済産業省)のIT産業振興政策、もうひとつは、郵政省(のちに総務省に統合)の情報通信政策である。これらは相互に関係はするものの、個別に方針を決め、予算をつけて実践していけば良かった。

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 主として製品(ハードウェア・ソフトウェア)を作っていた狭義のIT産業は、外国企業と競争し国内シェアを守るとともに海外への輸出で稼ごうと懸命だった。その側面支援や、もう少し積極的な指導をしたのが経産省(以下この呼称とする)だった。
 
 一方通信キャリアは国内では寡占の状態にあり、電波の配分などは郵政省の指導に拠っていた。キャリアに機器等を納入する企業も、事実上総務省の傘下にあった。

 経産省はこれをIT(Information Technology)政策と呼び、総務省はこれをICT(Information & Communication Technology)政策と呼んだ。インターネットが普及し始め、両者の関係が密接になってきてもこの区分は変わらなかった。のちに「ソーケー(総経)戦」と呼ばれる微妙な関係が両省間に存在していた。

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 IT/ICTという言葉のどちらを使うか、ということまで企業は気を配った。同じ資料でも、経産省系の機関に持ち込むならITと書き、総務省系の機関へはCの字を加える手間を掛けた。MS-Word全文検索/添削機能が、役に立った。

 ずっと昔、帝国海軍はインチ単位系を使っていた。イギリスの流れを汲んでいたからである。途中でメートル・センチ系に変更したとき、陸軍(ドイツの流れを汲んでいた)がすでに「センチ」と呼称していたため、「サンチ」という新しい単位をつくってしまった。それゆえ、戦艦大和の主砲は「46サンチ砲」と呼ぶのが正解。

 21世紀になってインターネット・エコノミーが拡大しはじめると、日本の立ち遅れを懸念する声が高まった。そこでIT基本法が成立し、総理を本部長とするIT戦略本部が設置されて総合的にIT/ICT政策を遂行することになった。
 
 その時の本部長は森喜朗総理、初代IT担当大臣には堺屋太一氏が就任した。森総理がITを「イット」と発音したことだけが記憶にある方もおられようが、僕たちから見れば大きな変革の時だった。

<続く>