Cyber NINJA、只今参上

デジタル社会の世相をNINJAの視点で紐解きます。

東京メトロ半蔵門線の謎

 以前のオフィスは青山一丁目が最寄り駅、今は清澄白河~森下の中間あたりに移転している。そのおかげでだが、それまでは縁の薄かった東京メトロ半蔵門線に乗る機会が増えた。巨大な城だった江戸城の、正門は大手門(今の大手町)だったとする説が多いが、大手門の先は江戸湾。こちらから敵の大群が攻めてくる公算は少ない。むしろ甲州街道から攻めてきた敵軍が、半蔵門に攻めかかるのが普通。そこで裏門に当たる(大手門の別名である)追手門から、反撃部隊を出すのが考えられる戦術だったのではなかろうか。

 

 そんな半蔵門をかすめて皇居の北側を回り込むように、比較的新しい地下鉄が建設されたのが半蔵門線である。

 

皇居を避けた? 半蔵門線の不自然な「Ω」ルートの真相 実はあった「皇居ぶち抜き地下鉄プラン」 | 乗りものニュース (trafficnews.jp)

 

 の記事にあるように、大正時代には皇居の下を掘って地下鉄を運行する計画があった。

 

        

 

 大正デモクラシーゆえの計画は、昭和の時代に天皇家をより崇拝するように仕向けた政権によって白紙とされたのかもしれない。しかし戦後の技術革新と象徴天皇の考え方で、皇居の下を通る地下鉄はありえたはずだ。

 

 半蔵門線の工事の時代は米ソ冷戦、核シェルターの必要性が問われていた。他の路線より深いところを走る半蔵門線は、永田町や大手町を通り臨時の核シェルターの役割をしていたとする説もある。ならばむしろ皇居の下を通して、天皇家を避難させるという計画にならなったのはなぜだろうか?

 

 ひょっとして巨大な城だった江戸城の地下構造物があり、それを受け継いだ明治以降の政府が拡張工事をして、地下鉄を通せないような何かを作ってしまっていたのではないか?地下壕のようなもので、天皇家(国体?)を含めた政府中枢もすっぽり収められる・・・。

 

都市インフラと軍事構想 - 新城彰の本棚 (hateblo.jp)

 

 などという本もありましたしね。