Cyber NINJA、只今参上

デジタル社会の世相をNINJAの視点で紐解きます。

インフラメンテナンスの現場(7/終)

 翌朝、鈴鹿市内のビジネスホテルで、ちょっと遅めに目覚めた。あまりにもInput情報が多すぎて脳が刺激を受けたからだろう、寝付けなかったこともある。朝食は6時半からで、出発は8時前。慌てて着替えて朝食会場に降りて行った。

 

 朝食はバイキング方式、一人一人に消毒済みのトングが渡され、しかも使い捨て手袋を両手にはめて食材を取れとのこと。ご飯も「自動よそい機」に希望量を入力して茶碗を出すと、「ポン」と音がして配給してくれる。「COVID-19」禍に、バイキング会場も苦労して対応しているようだ。

 

    

 

 この日はマイクロバスで鈴鹿市を後にし、名古屋に向かっていくつかの「現場」を巡っていく。昨日とは異なり、小雨の中を路面や橋梁を見て説明を聞く。徐々に名古屋に近づいてきて、県境までやってきた。ここに国交省の<木曽川下流河川事務所>がある。上層階に上って隣接する揖斐川を見ると、左手に国道1号線の伊勢大橋、右手奥に長良川河口堰が見える。

 

 説明を受けたのは、伊勢大橋の架け替え工事。まさに「弩級のインフラメンテンス」である。現在片側2車線の大動脈を支えている伊勢大橋は、1934年に竣工した長さ約1kmの橋。それ以前は渡船で往来したというから、竣工以前とは物流量がケタ違いになっている。今の伊勢大橋の右隣に、新しい橋の橋脚だけは完成していた。

 

    

 

 列車で名古屋から鈴鹿に向かっている時、まず渡るのは庄内川、続いて日光川。これらの川でも、酒匂川や相模川くらいの規模はある。しかし続く木曾・長良・揖斐の三川を渡ると、その川幅に圧倒される。この三川を越える難しさは、江戸時代の東海道が熱田から桑名までは水運だったことからもわかる。

 

 1934年といえば、第二次世界大戦前のキナ臭い時期。兵員や装備の陸送には、伊勢大橋が必要だったのだろう。実際空襲が激しくなった1945年には爆撃もあって、昨今の橋脚工事でも不発弾が見つかっている。上部構造物には機銃掃射の弾痕もあるというから「戦争遺構」でもあるわけだ。

 

 デジタル業界とは時間軸の違う技術の世界、2日間にわたり堪能できました。企画をしてくれた国交省三重県鈴鹿市他の皆さんに、感謝・感謝です。