Cyber NINJA、只今参上

デジタル社会の世相をNINJAの視点で紐解きます。

豆相人車鉄道

 近代的なビルに建て替わって見違えるようになり、大規模商業施設ラスカとなった熱海駅だが、駅前広場も同時に整備された。そこにぽつんと、オモチャのような蒸気機関車が展示されている。煙突も窯も、石炭の投入口もあるのだが、あまりにも小さい。操作デッキには、大人2人が乗れるかどうかわからないくらいだ。

 

 この機関車、かつては実際に稼働して乗客を運んでいたのだ。いまはかくも幅の狭い線路は存在していない。その路線は、1907年から1924年まで小田原・熱海間を結んでいた。現存する機関車はその7号機関車だということだ。これは軽便鉄道なのだが、実はそれ以前にもこの路線に列車(・・・と言えないかもしれないが)が乗客を運んでいた。

    f:id:nicky-akira:20190526083528j:plain

 

 それが豆相人車鉄道、熱海駅から熱海銀座の方に降りてゆく途中に「大江戸温泉」があるが、その入り口に碑が残っている。この旅館はかつて「南明ホテル」という老舗だった。軌道の終点がここだったと碑にあるから、昔は駅前旅館だったわけだ。僕もまだ熱海に移り住む前に、両親を連れて宿泊したことがある。古い旅館で比較的安い料金だった。食事などはお値段相当だったが、食器などの調度は立派だと母親が評していた。今は、経営困難になった旅館をリノベーションして店舗を増やしている「大江戸温泉」のひとつになってしまったというわけだ。

 

 さてその碑によると、最初は人車なので機関車は付いていない。馬車は馬が客車を曳くのだが、人車は人が客車を押すわけだ。その後蒸気機関車が付いてからも急坂に差し掛かると、上等・中等・下等の区別があった(料金が違う)下等の乗客は降りて車両を押す側に廻ったという。丹那トンネル開通までの熱海周辺の鉄道には、本当にいろいろなエピソードがありましたね。