Cyber NINJA、只今参上

デジタル社会の世相をNINJAの視点で紐解きます。

IT屋さんの40年(1)

 当時新しい工学部の学科だった情報工学科に入ったのは、45年前。製図の単位が必修でなく、面倒くさいことが嫌いだが、プログラム実習ならこなせる僕には、都合のいい学科だった。ただ、新しい学科なので進路指導の先生たちは苦労されたようだ。既存学科には、企業側にもOB会かこれに類したものがあり情報が入ってくる。卒業生が幹部にでもなっていれば、自動的に求人も来るだろう。情報工学科の場合は企業側への知名度がなく、教授陣が企業に何度も足を運ばれたようだ。

 日本の当時の企業は、あまり専門性を問わない。xx大学工学部ならそれなりの理数系能力をもっているだろうから、それで十分。あとは企業内で再教育して、企業カラーに染めていくつもりでいる。プロ野球のドラフトにたとえるなら、足が早く肩が強い選手なら、野球そのものは未完成でもかまわないということ。

 機械系エンジニアと話をすると「一人前になるには(社内徒弟制度を経て)15年はかかる」という。成熟した技術なら、社内で再教育してじっくり育てるというのは合理的だ。大学がいくらがんばっても、企業の実践的な技術の蓄積にはかなわないところが多い。

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 しかし、コンピュータ・サイエンスとなると話は少し違う。この業界では実質的に性能が「5年で10倍」になるのだ。15年経てば市場は1,000倍になっている。普遍の技術もないわけではないが、先端的な技術も5年はもつまい。じっくり再教育などと悠長なことは言っていられない。大学の方が、小回りが利いて進んだ技術を持っている分野もある。大学で先端的な研究をしてきたのなら、それを最大限に生かせる部署に入れて「刈り取れるうちに刈り取る」のが企業として得だ。

 これを技術者個人の立場から見ると「刈り取られてしまって終わり」では困ることになる。転職のために資格でもとっておくか、という人は当然いた。僕も、早いうちに「1種情報処理技術者」「特種情報処理技術者」はとった。仕事は単純なプログラミングから仕様書作成、チームの工程管理などにステップアップし、経験も積んでくる。しかし、新しい技術や新しい人がどんどん入ってくると、過去の経験だけでは生きてゆけない。比較的大きな企業の中では、35歳までくらいが純粋に技術で食える時代だと思っていた。

<続く>