僕が学生のころ、大学の研究室は「年功序列」社会。情報工学科は新しい学科だったのだが、それでも教授~助教授~講師という序列ははっきりしていた。他大学から移ってきた2人の講師が、各々の研究室の助教授職は「僕らに約束されている」と言っていたのを覚えている。
一度その研究室の講師になれば、大きな問題がない限り、いずれ助教授、そして教授というポストが見えていた。1~2年昇進に差は出るかもしれないが、それは教授の去就(健康問題や定年)次第。学生指導はもちろん、研究成果(論文等)の差異が決定的な昇進条件になっていたわけではない。
当時は普通の会社も「年功序列」だったから、僕自身は大学に残った同期生の話を聞いても、特に違和感はなかった。むしろそういう大学のぬるま湯的な雰囲気が嫌いで、大学院修了時に博士課程に進まなかった。もちろん博士課程にいける成績でもなかったし・・・。
しかしその後、産業界ほどではないにしても大学でも実力主義が芽生えてきて、重鎮の先生より若くてもおカネ(文科省予算や民間企業からの資金)を持ってくることのできる先生が重宝されるようになった。おカネを呼ぶためには、研究成果を揚げるとともにそれをちゃんとアピールできないといけない。「教授」に求められる資質に変化が出た。
教育とビジネスの過渡期 - 新城彰の本棚 (hateblo.jp)
それはいいのだが、象牙の塔自体がせちがらくもなった。その結果上記の書にあるように、若手研究者を搾取したり研究成果を横取りするようなケースが目立つようになった。この書は、このままでは若手研究者が育たないと警告する。
それを象徴するような事件が、今回報道された。東北大学大学院農学研究科の准教授の論文2本に、データの改ざんや盗用があったとして論文を撤回するように求めたと大学側が発表したのだ。
学生がほとんどまとめたデータを了解得ず使用、東北大院准教授の論文「盗用」と認定 : 社会 : ニュース : 読売新聞オンライン (yomiuri.co.jp)
絵にかいたような「若手研究者からの搾取」だが、上記の書を読んでいたからこのようなことは他にもあると感じた。象牙の塔が実力主義になるのはいいことですが、それが正しい「実力評価」であるのが前提ですよね。