Cyber NINJA、只今参上

デジタル社会の世相をNINJAの視点で紐解きます。

平和教育と紛争報道

 1997年11月、エジプトの有名な観光地ルクソールで大規模なテロがあり、死者60余名の被害が出た。その中にはツアーでそこを訪れていた日本人添乗員・観光客が10名含まれていた。当時僕は名古屋の事業所でR&D部門の課長職、課員には若い技術者も多くその中には女性も少なくなかった。そのうちの一人が結婚することになり、報告に来た。

 

 「それは良かったね。仕事は続けるの」などと話をしていて、新婚旅行の件になった。まだ決めてはいないがエジプトに行きたいという。これが9月だった。ちょうどカイロでテロがあって、考古学博物館前でバスに乗っていたドイツ人観光客ら10名が犠牲になっている。びっくりして別の国に行くように勧めた。彼女たちは、確か11月にギリシアに旅行したように思う。

 

https://toyokeizai.net/articles/-/308753

 

 これを思い出したのは、上記の記事を読んだから。今は、シリア紛争などの影響でキプロスギリシアの状況も危険になっている。そんなギリシアに行きたいという日本人新婚旅行客がいるという内容だ。世界には危険地帯が多くあり、それも拡大している。欧米では紛争の報道が多いのに、日本ではそういうものが少なく危険情報が不足しているとの指摘だ。

 

    f:id:nicky-akira:20191024205206j:plain

 

 そのこと自身は間違いないのだが、受け入れる側にリテラシーが無ければいくら紛争報道があっても無意味だ。そもそも興味がない人たちは、そんなニュースを見ない。この根本原因はと考えたが、ひょっとすると「平和教育」にあるかもしれないと思う。あくまで僕の子供のころの記憶だが、

 

 ・戦争は絶対悪との認識を教員が持っていた。

 ・といって戦争の生々しさも(子供ゆえか)教科書にはない。

 ・歴史は教えても、近代の紛争の実態は教えない。

 ・近代史のところで時間切れ。入試にも出ないと割り切っている。

 

 という状況で、今も大きなトレンドは変化がないのではないかと危惧している。僕個人はその後、ミステリーからスパイもの、軍事スリラーに進み、生々しい悲惨なシーンも文字の上だが経験した。戦争・戦闘の悲惨さは身に染みたつもりで、これに関するリテラシーを得たと思っている。しかし、このような本を読んでいない日本人には本当に紛争現場で何が起きているのか理解できないのかもしれない。

 

 教育の基本として、危機管理のリテラシー教育はもっと重視されるべきと思います。