Cyber NINJA、只今参上

デジタル社会の世相をNINJAの視点で紐解きます。

選挙民が限定された選挙

 いわゆる「55年体制」以降、自民党の総裁選挙はほぼ日本国政府の総理を決める選挙だった。自民党員・国会議員が選挙権を持ち、一般の人は立ち入れない。今回は自民党内のゲゼルシャフト的選挙ではあるが、少数与党ゆえの野党協力(願わくば新連立)をにらんだ、少しだけ開かれた選挙になって、今日告示される。

 

 選挙民が限定される選挙だし、公職選挙法も適用されない。まあ、自民党内規による「選挙違反摘発」は、可能性としてはあっても実例は聞いたことがない。党員ではない僕は横目で見ているだけなのだが「選挙民の限定」という言葉が気になった。

 

 有権者が限定されていれば、その人たちに伝わる考えや政策を主張すればいい。政治家として、あるいは立法府・行政府としてあるべき政策を揚げて戦えばいい。そこで、最近読んだこの本のことを思い出した。

 

ローマの遺跡

数々の選挙と戦争の先には - 新城彰の本棚

 

 この書「民主主義の危機」の中で、ジョージタウン大ブレナン教授は「エピストクラシー」という選挙民選抜制度を提唱している。一定の政治知識のある人だけに選挙権を与え、資格があるかどうかのテストをするという。確かにこの方法によれば、ポピュリズムは避けることができる。テストのやり方や不正の防ぎ方(特にAIカンニング対策)など実務的な課題は山のようにあるが、トランプ「赤ちゃん」の暴走を見ていると、うなづけるところはある。

 

 しかしもうひとつ、気になるデ-タがある。先進国の成人でも、半分は簡単な(自国語の)文章が読めないし、数学も小学生レベル。PCを使ってまともな仕事ができるのは5%だとする説(*1)だ。どう考えても政治の有識か否かを図るには、簡単な問題文というわけにはいかない。ならば有権者は半分に減ってしまう。もしオンラインテストで記述式試験をしたりすれば、95%が資格を得られないかもしれない。

 

 今の日本の有権者を仮に1億人とすれば、総選挙は500万人の投票を奪い合うものになります。500人の衆議院議員を選ぶなら、1人あたり1万票が当選の目安ということですね。それなら選挙制度改革も、やりやすくなるかもしれません。

 

*1:人類の脳がもたらす「不都合」 - 新城彰の本棚