会津美里町は、阿賀川西岸の広大な土地を含んでいる。同じ町内で、いくつも街歩きMAPがあるほどだ。そもそも会津は福島県の内、浜通り・中通り・会津の3区分のひとつ。しかし総面積は東京都と神奈川県を併せたほどあり、人口は20万人しかいない(*1)。これを過疎と呼ぶか、土地が豊かと考えるかは人によって違うだろう。
飛鳥時代以前から栄えたエリアであり、古い神社・仏閣・お堂は数知れない。新鶴温泉「んだ」の徒歩圏にも2つの有名な古刹があるので、ガイドさんと一緒に歩いて尋ねることにした。
最初は昨夜呑んだワイン「奥の院」の名前の基になった弘安寺奥の院。古代古墳の跡かと思える小さな築山で、石碑が立っていた。弘安年間に建てられた弘安寺の本尊を、ここで鋳型に入れて製造したという場所。そこから下っていくと、弘安寺そのものがある。会津33観音札所のひとつ「中田観音堂」である。

明治の偉人野口英世の母親が、息子の出世を願って繰り返し詣でたとされる古刹で、本尊は国指定重要文化財「銅造十一面観音像」。建立は鎌倉時代中期、かつてはきわめて大きな境内を持っていたらしい。
そこから滅多に車の往来がなく、農作業中の人が挨拶してくるような道を延々歩いていくと、これも広大な境内を持っていたとされる雷電山法用寺に着く。こちらはさらに古く、奈良時代初期の建立。

長い坂を上っていったところにあるのだが、何度も水害で流されたという。単なる洪水ではなく、土石流のようなものだったと思われる。平安時代末期に仁王門が作られ、東北地方にはめったにない三重塔も、江戸時代に完成している。

一対の仁王像は、平安時代後期にはあまりつくられなかったもの。それが東北で見つかったことに国の機関が驚き、いきなり国指定重要文化財にしたとの逸話がある。なにか歴史の謎を思わせる話(*2)だ。
幸い曇り空だったので、大汗をかかずにおおむね1万歩歩くことが出来ました。ガイドさんの案内に感謝です。
*1:東京&神奈川で約2,000万人