京都へ何度も行き、新選組の名を挙げた池田屋の前を何度も通り、屯所だった壬生の地も訪問した(*1)。新選組の後援をして「お預かり」としたのが、京都守護職だった会津公松平容保。会津藩は戊辰戦争で、朝敵となっても徹底抗戦している。
僕は学生時代に会津若松城は訪れたことがあり、親父も企業の研修旅行でかの地を訪れ、
・会津若松城は立派だった
・白虎隊は可哀そうだった
と短くコメントしている(*2)。
そんな会津と縁が出来たのが昨年、会津出身の国際政治の専門家と知り合って現地のお酒を貰ったり、会津でワイン造りをしている昔のお仲間と久しぶりの忘年会(*3)をした。

今回、その皆さんから再び声がかかり、ブドウ造りの現場見学も含めて会津への1泊2日の旅に出ることになった。往復の<やまびこ>の指定席を予約し準備完了。当日の朝が早いので、慣れた大森駅前に前泊した。いつもは海側で食事するのだが、たまにはと思って山側に出てみた。とはいえ<地獄谷*4>に行く気力はない。とあるビルの地下に数軒の呑み屋があるのを見つけ、その中で炉端焼き「大鳳」という店に入った。

コの字型カウンターと周辺のテーブルで、20人も入ればいっぱいの店。親父さんが串焼き、揚げ物、包丁を振るってお造りと大活躍。お勧めという日本酒「黒松」を注文した。ホタテの煮物がお通しで出てきて、タコとマグロのお造り、川海老の唐揚げ、梅キュウ、ゲソ焼きなどを頼んだ。

この街には断続的ながら10年以上勤務したのですが、こんな店は知りませんでした。今でも支払いは現金Only。初めての店なのに懐かしさもあって、45年ぶりに会津若松に向かうには、いい前祝になりました。
*1:木枯らしの中、新選組の屯所へ - Cyber NINJA、只今参上
*2:おやじは息子と違いプアボキャだった