幕末の英雄坂本龍馬は、33年の生涯のうち最後の2年だけ京都を拠点に活動した。その間、薩長同盟を締結し、船中八策を顕し、大政奉還が成った直後、何者かに襲撃されて世を去った。今回の旅の直前に、京都案内番組で坂本龍馬を特集していたので、龍馬の足跡を追ってみたいと考えた。
番組で紹介されていた中で、手傷を負いながら薩摩藩邸にのがれることができた寺田屋事件の場所(*1)や、京都の町を見下ろすお墓、龍馬を斬った刀が展示されている霊山資料館(*2)はすでに訪問している。リストアップしたのは3箇所。

1)恋女房お龍と安否を確認し合ったという武信稲荷神社
お龍さんは、寺田屋事件の時龍馬に急を告げたり薩摩藩邸に救援を求める活躍をした女丈夫。幕府に手配されてお龍に逢えなくなっていた龍馬が、境内の樹に「龍」の字を刻んで安否を知らせたとの伝説がある。三条商店街のちょっと南にあった。

2)龍馬の「新国家」思想を展示している佛立ミュージアム
龍馬直筆の手紙などが展示され、そこに書かれているキーワード「新国家」を解説している。漫画家小山ゆうの「龍馬がゆく」も使って、龍馬の活躍から最期までを分かりやすく示していた。北野天満宮の少し南にある。

3)最期を迎えた旅籠「近江屋」の跡地
幕府見廻組と思われる刺客に襲われたのは、河原町の旅籠「近江屋」。今は跡形もないが、石碑は立っている。河原町三条から四条に向かうアーケードで見つけた。実行犯はともかく、誰が龍馬を殺したかったのか?容疑者は一杯いる。
龍馬は維新の立役者ではあるが、本当にそれだけの活躍をしたのかについては疑問符も付きます。多分、多くの人の功績を死後負った(負わされた)かもしれませんが、それはさておき、歴史の街京都で5箇所廻れたのは嬉しかったです。