Cyber NINJA、只今参上

デジタル社会の世相をNINJAの視点で紐解きます。

木枯らしの中、新選組の屯所へ

 滞在中、日に日に3度ずつくらい気温が下がっていき、この日は木枯らしが吹いた。そこで観光は市内中心部に絞った。行き先は壬生寺周辺。市役所前のバス停から、所要20分弱で壬生寺道停に到着。壬生寺律宗の寺院で、延命地蔵尊が本尊。この辺りは江戸時代までは洛外で、郷士の屋敷のほかは広大な農地が広がっていた。豊かな農村ゆえ、田舎狂言が栄えたのだが、それより寺の名前を有名にしたのは、幕末に新選組が屯所としたこと。

 

壬生寺の正門

 新選組はその前身の<浪士隊>のころも含めて、5年間京都にいた。その前半2年間はこの辺りを屯所として、幹部は土地の郷士八木邸に住み、壬生寺境内で練兵や砲術訓練をしたという。寺には、初代局長芹澤鴨らの墓もある。壬生寺の歴史資料館には、土地の狂言地蔵尊新選組関連の展示があった。近藤勇の胸像は古いものだが、土方歳三のそれは昨年完成したばかりの新品。

 

京都市指定有形文化財<八木家住宅>

 壬生寺の北には、今も15代当主が住むという、郷士八木家の邸宅がある。拝観券は邸宅前の菓子店で売ってくれ、30分ほどのガイドとお茶・菓子のサービス付きで1,100円なり。

 

宇治茶と菓子

 上品な大福風の菓子を食べて待っていると、ガイドさん登場。八木邸の座敷に案内され、新選組の成り立ちから芹澤鴨らの暗殺、西本願寺への移転まで説明してくれた。暗殺現場に座って話を聞き、鴨が討ち取られた部屋にも足を運んだ。鴨居に刀傷が残っていた。建物のこの部分は築200年は経っていて、市の文化財に指定されている。それゆえ住むことができないので、当主一家はさらに奥の屋敷に(恐らくは近代的な部屋で)住んでおられる由。

 

 <壬生浪>と呼ばれて恐れられた集団だが、その末路は悲惨なもの(*1)だった。ほとんどの隊士は生きて明治を迎えられず、死者の多くも戦闘ではなく切腹や斬首で命を落としている。壬生寺の向かいの新徳寺は、浪士隊を結成した清川八郎が演説をした場所で、彼も暗殺で命を落とした。

 

新徳時の表門

 ここには、切腹して果てた総長山南敬助らの墓もあるそうです。ようやく訪れることのできた新選組発祥の地、先月終焉の地函館にも行ってきたので、とても感慨深かったです。

 

*1:生存者の口伝も交えた実録 - 新城彰の本棚