Cyber NINJA、只今参上

デジタル社会の世相をNINJAの視点で紐解きます。

どうしてるだろう、あの人たち

 ウクライナの首都の呼称が、ロシア語読みの「キエフ」からウクライナ語の「キーウ」に代わった。フォーサイスの小説で有名な港町「オデッサ」も「オデーサ」と呼ばれるようになる。呼称が代わるのは、その国の体制に変化があった証拠でもある。僕が体験したのは「ビルマのラングーン」が「ミャンマーヤンゴン」になったこと。

 

最後のフロンティア - Cyber NINJA Archives (hatenadiary.com)

 

 にあるように、10年前に僕は「ヤンゴン」に単身出張したことがある。長く続いた軍部独裁から民主派勢力が政権を奪取したが、アジア最貧国のひとつだった。そこをフロンティアと思って日本企業も進出を考えるのだが、それにはウラもあった。当時の首相夫人がこの国に多大の関心を示し、忖度した企業TOPたちがミャンマー復興に前向きになっていたのだ。

 

 そんな事情があったのかもしれないが、僕にも上司から「ヤンゴン支店の力になってやれ」との指示があった。そして、初めてかの地を踏み<シエラゴン・パゴタ>などを見学している。僕の考えたミャンマー支援策は「デジタル人材育成」だった。現地で大学のドンと会い、副学長でもある女性教授を話し合って、教育プログラムを日本で実施することにした。

 

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・大学教員を5名ほど、2週間東京に来てもらう

・企業内研修施設を使い、平日は宿泊研修、休日は自由行動

・日本の行政機関、業界団体、教育機関等から講師を集める

・デジタル技術を、研究開発から応用分野まで含めたカリキュラムを作成

・資料、講義、質疑応答は全部英語

 

 というものだった。初年度やってきたのは副学長以下すべて女性の5名の教員。それなりに満足して帰ってもらったのだが、次年度は「文科省の男性局長が加わりたいと言っている」との連絡があった。写真は2年目の研修が終わった日、その局長から僕が貰った現地の工芸品。オフィスの引っ越しで久しぶりに「発見」した。

 

 月夜に川を行く帆船、水牛に乗った農夫・・・のどかなミャンマーの風景である。現地は軍事クーデターから1年経ち、軍司令官は民主派勢力の抵抗をテロと決めつけ「全滅させる」と威嚇している。事実上内戦となったかの国、僕がかの地や日本で会った人たちは、今どうしているだろうか?

 

 ウクライナ紛争ばかりが報道されますが、ミャンマーでも人権問題は起きています。でも、今の僕には何もできない・・・。