Cyber NINJA、只今参上

デジタル社会の世相をNINJAの視点で紐解きます。

45歳定年より「ジョブ型雇用」を

 サントリーの新浪社長が「45歳定年制」を唱えて、激しいバッシングに逢っている。ちょっと説明不足だった(メディアがその部分だけ切り出して伝えた?)かもしれないが、主旨としてはうなずけるものがある。単にひとりの経営者がグチったわけではなく、経済同友会の夏季セミナーのテーマにもなっているのだから、大きな社会課題と捉えるべきだ。

 

『45歳定年制』? 進む、人材の新陳代謝|日テレNEWS24

 

 日本企業の多くは、いまだに「メンバーシップ型雇用」だ。どこで、誰と、どんな仕事をするかは企業側にゆだねる代わりに、定年までは正社員としての身分を保証されるというもの。「種々の自由は制限する代わりに、衣食住は政府が保証する」としたスターリン体制に近いものだと、僕は社会人になってすぐに悟った。

 

 企業側は戦後復興から高度成長期にはいくらでも仕事があるので、いいなりになる従業員は必要だったし処遇もできた。しかも定年は55歳、ほぼ平均寿命に近く合理的な設定だった。しかしその後定年が60~65歳に伸び、今70歳を目標にとなってきた。企業の論理からすれば、正社員としての身分保証期間が長すぎるのかもしれない。竹中教授の「護られ過ぎている人がいる」という発言は、このことを指していると思う。

 

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 だから同友会セミナーの議題設定は時宜を得たものなのだが、記事の論点は少しズレていると思う。日本は全体的には人手不足なので人材の流動を促す、個人は(自立して)会社に頼らないというのはいいとして、その手段を定年の年齢引き下げに求めたのは上手くない。「ジョブ型雇用」への転換を図り、結果として定年制不要に持っていくべきだったのではないか。

 

 自立した個人が従業員として「こういう仕事がしたいし出来る」と言う。企業側が「では、条件(処遇やKPI)はこうだ」と応じて、契約が成立すればいいというわけ。テレワーク環境になって「出社していないと社内で忘れられる」として通勤する管理職もいるという。出社することが仕事だという「ジョブ・ディスクリプション」では、こういう人たちが続出してしまう。

 

 同友会はじめ経済界・経営層には、是非手段としての定年制(引き下げ)に逃げ込むことなく、経営の本質を見直していただければと存じます。