Cyber NINJA、只今参上

デジタル社会の世相をNINJAの視点で紐解きます。

マサダの砦

 イスラエル出張から帰る日、フライトは夕刻だということで東部ヨルダン国境にある「死海」を訪ねることができた。エルサレムから1時間ほど東へ向かうと、丘陵が岩山に変り、徐々に緑が少なくなっていった。羊が草を食んでいたのが、生物の影が見えなくなってくる。同時に下り坂が続き、岩山に+100、0、-100などとの表記が見られるようになった。これが標高を表す数値である。

 
 死海は塩分濃度30%というのも異常なのだが、その水面が標高ー400m以下であることも我々の感覚では理解しづらい。普通の海なら、最新鋭の潜水艦でも圧壊しそうな深度である。そこへ僕たちは、ハイヤーで降りて行っているわけだ。もう周りは「土漠」ばかり、動物も植物も一切見られない。死海につくと右折して、死海ぞいに南下する。目指すは、死海沿岸でほぼ唯一の観光拠点エン・ボケック。海水浴場や高級ホテル、ショッピング街などがあるリゾートだ。
 
 ロシア人の観光客が多いようで、道路標識にもキリル文字が併記してある。死海沿岸を1時間ほど走って、ようやくエン・ボケックが見えてきた。ハイヤーの運転手(ウクライナ人だと言った)が、右手の山を指して「マサダ砦」だという。
 

    f:id:nicky-akira:20190428213939j:plain

 
 パレスチナの地がローマ帝国に支配され、紀元70年にユダヤ人約1,000人が死海を見下ろす古い砦マサダに拠って最後の抵抗したとの記録がある。画像はエン・ボケックにあるインド料理店だが、その背後にそびえたつのがマサダの跡地。
 
 峻険な山岳に拠る彼らを、15,000人以上のローマ軍は得意の土木工事で突破口を穿ち、2年でこれを陥落させたという。以後ユダヤ民族が「約束の地」に戻るまでの約1,900年間、彼らは欧州中心に国を持たない民となって流浪することになる。マサダ砦は世界遺産にもなっていて、思わぬところで歴史に触れることができました。それにしても、恐ろしく荒涼としたところではあります。