Cyber NINJA、只今参上

デジタル社会の世相をNINJAの視点で紐解きます。

伊勢新九郎盛時の像

 小田原駅には海側から、JR東海道線小田急線・東海道新幹線の順番に線路とプラットフォームが並んでいる。東海道線と新幹線は、小田急線をまたぐ形でつながるようになっている。小田原駅で降りた人は、多くは海側の街に出ていく。何度か紹介した駅前地下街「ハルネ」もあるし、多くの商業施設は駅の海側にあるからだ。

 

 逆に山側に降りるとそこには小さなバスロータリーがあるだけで、ひどく殺風景に思う。そこに立っているのが、北条早雲の騎馬像。早雲は後北条氏創始者であり、比較的初期の「戦国武将」である。本名は伊勢新九郎盛時という。伊勢氏は、室町幕府政所執事の家系で、新九郎の父親盛定は8代将軍足利義政銀閣寺を立てた人)の近くに仕えたという。

 

 新九郎は伊豆や駿河で勢力を伸ばし、卓越した軍事・民政能力で京都から遠く離れた地で、無能な為政者たちを駆逐していった。そのハイライトが1495年の小田原城奪取である。当時の小田原城は大森氏の支配下にあったが、新九郎は大森氏に貢物を送るなど恭順の意を示してこれを騙した。

 

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 侵攻の前日、箱根山で狩りをすると大森氏を油断させて勢子に偽装した軍勢を箱根山に入れた。そして払暁、1,000頭の牛の角に燃えるたいまつを付け、小田原へと駆け下らせた。木曽(源)義仲の倶利伽羅峠の戦いをほうふつとさせる戦術である。慌てふためいた大森氏側の兵士は逃げ散ってしまい、小田原城は新九郎軍の手に落ちた。

 

 小田原駅前の銅像には、僧形で采配を振る騎馬像の脇に角になにかをはためかせた牛と思しき像が2つほど付属している。騎馬像より大きくできないので小さめになっていて、子豚のように見えるのがご愛嬌というところ。

 

 新九郎は後に出家して早雲と号したが、小田原攻撃の時点では僧形ではなかったはずだ。まあそんなことにめくじらたてなくてもいいのだが・・・。駿河遠江・伊豆・相模から三河や甲斐・房総半島まで荒らしまわった一代の梟雄早雲の晩年については、以前富樫倫太郎の著書も紹介している。

 

https://nicky-akira.hateblo.jp/entry/2019/04/25/120000

 

 いつも通っている小田原駅、たまには寂しい駅裏に出て、早雲公の銅像を眺めてみるのもいいものです。