1942年春、地中海ではイタリア軍が攻勢を準備していた。ユーゴスラビアやギリシアのパルチザン対策にはヴィシー軍が力を貸してくれ、イタリア陸軍の主力はレバノンとリビアに展開できた。対する英国は、最初から駐留している部隊がエジプトに、1個機甲がチュニジアにいるだけだ。
タラント艦隊が1個歩兵をパレスチナに強襲上陸させようとした作戦は、またも英ジブラルタル艦隊に阻まれた。しかしシチリア島の航空部隊によって、英国艦隊も相応の被害を受けた。強襲上陸ができなくてもレバノンから2個歩兵が南下して、イタリアはヨルダンとパレスチナの占領に成功、スエズをにらむ地点まで前進した。これに呼応してトブルクからのイタリア軍は、カッタラ低地を抜けてアレキサンドリアに迫った。
これに対して英軍は、マルタから1個歩兵を送るとともに本国から大規模な増援を地中海戦域に送り始めた。それを可能にしたのは米軍の来訪、間もなくブリテン島は濃緑色の米軍コマに埋め尽くされよう。ドイツ軍が上陸(あしか作戦)できるはずもない。
米英両国で地中海で闘うと攻勢に使うBRPが無駄になるので、当面地中海での攻勢は英軍、西武戦域での防御は米軍と分けた方が効率がいい。1942年夏にはカナダ軍もエジプトにやってきて、スエズ・アレキサンドリアは守り切れた。
チュニジアではイタリア軍の侵攻を阻んだ後、2個機甲で逆にリビアを脅かすようにもなった。イタリア空軍はシチリア島に集結しているが、チュニスの英空軍も強力だ。マルタ島も陸軍は少ないが、1個艦隊がいるため強襲上陸は心配しなくていい。
一方の東部戦線、史実ほどではないがドイツ軍の進撃は止まらない。北ではレニングラードを孤立させ、スモレンスクを占領してモスクワに近づいている。南では機甲部隊が集団でクルスクを突破、スターリングラードまで1ターンで行ける大穴を開けた。ソ連軍はあわてて防御線を敷いたが決して強力なものではない。ドニプロペトロウスクを包囲するところだったが、ソ連軍はこの街を放棄して後退した。死守しようとしたら、たちまち後方を遮断されそうだ。
ソ連軍のお財布はまだ破綻していないが、このままだと冬には十分なBRPが残っていないだろう。米英は船団を組んでムルマンスク(地図外)へ、合計40BRPを送ることにした。
<続く>