Cyber NINJA、只今参上

デジタル社会の世相をNINJAの視点で紐解きます。

高層ビルの狭間にたたずむ伝説

 丸の内から大手町にかけての再開発も、かなり進んできた。経団連会館の南のブロックには、プロミスの本社などが入った古いビルがあった。そこが今取り壊されて新しいビルになっている。もう1ブロック南は、かつて三和銀行の東京本店があったところ。すでに建て替えが終わり、高級ホテル「アスコット東京」や外資系企業が入っている。その狭間に、建て替えがあっても手つかずの一角がある。


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 史跡「将門の首塚」である。平将門は10世紀、平安時代中期の人。桓武天皇五代の子孫にあたり、下総から常陸にかけて勢力を張った地方豪族である。平安中期に地方が乱れ、中央政府に対する反乱が起きた。代表的なものが、瀬戸内を舞台にした藤原純友の乱と関東を舞台にした平将門の乱である。
 
 純友は水軍、平たく言えば海賊である。縦横に船を操り、海上輸送路を略奪して回ったと思われる。一方将門は騎馬武者を率いて戦い、馬上戦闘に秀でていたと伝えられる。平安時代が終わり鎌倉幕府の世になるのはまだ200年ほど後のことになるが、このころから馬に乗り馬上戦闘が得意な集団があらわれてくる。移動能力(つまり機動力)に優れているだけではなく、あぶみを導入していたことから騎乗して戦闘が可能になっている。
 
 戦闘方法としては、数百キロの巨体を生かしてぶつかる、馬の上から高さを利用して突くもしくは斬る、騎乗のまま弓を射るの3通りがあったようだ。将門軍は最初に太刀に反りを付けたとも言われ、騎乗戦闘のフロントランナーだったのだろう。

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 将門は中央政府に反発、国府を襲撃して印を奪い「新皇」と称した。中央政府も討伐を考えるのだが、関東は遠くいくさ上手の将門は容易につかまらない。影武者が多くいたとの説もあるが、要するに個人識別ができなかったのだろう。写真もビデオも(インターネットも)ない時代の事である。
 
 最終的にはこれを討伐することができたのだが、怨霊となって暴れるので首塚を大切に祀りこれを治めたという。だから高層ビルが建っても、首塚アンタッチャブルなのだ。関連する伝説もいろいろある。例えばこれも新橋の高層ビルの合間に残る「烏森神社」、ここには白狐が祀られていて、ご覧のように鉄筋コンクリート作りになって残っている。
 
 この白狐、実は将門の天敵である。新皇と称した将門に手を焼いた藤原秀郷(俗に俵藤太という)が、ここ烏森神社に戦勝を祈願したところ白狐があらわれ白羽の矢を授けたという。秀郷は、これで将門を討つことができたのである。今や将門も白狐もびっくりするであろう近代都市東京、高層ビルの狭間にまだ古い関東の伝説が生き残っているというわけです。