古い話だが、1977年に発表された中編小説「事故のてんまつ」を巡って訴訟が起きている。1972年に自殺した文学者川端康成氏の死の前後の模様を、仮名の家政婦が語る形で綴られたものである。ある種の「川端康成論」のようなものだが、これに川端氏の遺族が名誉棄損の訴えをしたものがこれ。
結局は示談になったようだが、いかにノーベル文学賞受賞の有名人とはいえ、このような形でプライバシー危機を迎えることになったのは気の毒だと思う。文学者の自殺は珍しくない。芥川龍之介や川端康成の例はよく引かれるが、三島由紀夫事件も僕は自殺だと思う。文豪と呼ばれる人たちは何かにのめり込んだ結果、精神のバランスを失いやすいのだろうか?ちなみに寡聞にして、「稚気の文学」であるミステリー作家の自殺というのは聞いたことがない。
それはともかく、「事故のてんまつ」が川端氏のプライバシーを暴いたものだったとして、個人情報保護法制からの対処はなかったのだろうか?この小説が公表された1977年には、日本の個人情報保護法は成立していない。それどころか、OECDが最初の個人情報保護のガイドラインを出したのも1980年代だから、世界中にそのような概念は確立していなかったのである。
では、このようなものが現在の日本で発表されたらどうなるか?実は、現行個人情報保護法にも全く抵触しないのである。それはこの法律が「現に生存している個人」に関する情報を保護するものだからである。僕はある時このことに気づき、故人情報は守っていくれないのかと驚いたことがある。死んで何世紀も経った織田信長や徳川家康、豊臣秀吉らならともかく、上記の川端氏のように死後5年くらいでは遺族の思いもあろうから納得しづらい。
情報を悪用されて生命・身体・財産に損害を受けるケースを防ごうというのが、法の主旨であることは理解している。しかし死んでしまったら個人情報をバラ撒かれても仕方ないとは思いませんよ。