Cyber NINJA、只今参上

デジタル社会の世相をNINJAの視点で紐解きます。

裁判員裁判の行方

 ミナミの通り魔殺人事件について、最高裁が2審判断を支持し1審の死刑判決は覆された。被害者遺族はもちろんのこと、多くの人が「6人殺して無期懲役で済むのか」と慨嘆しているらしい。個別の事件についてはともかく、このところ1審で死刑判決が出ても2審でこれが覆されることが目立つ。法曹界ではない人たちによって出された結論が、法曹界にひっくり返されているということだ。もちろん死刑がない先進国の方が多いし、「目には目を」的な結論では困る。それでも、ひっくり返されすぎだという感覚が市井にはある。

 

 そもそも裁判員制度は、法曹界が一般市民の感覚とズレてきたのでこれを是正するために導入されたものだ。にもかかわらず法曹界の常識がまかり通っているとするなら、苦労して導入した意味がないことになる。「苦労して」と言ったのは、法曹界が素人への配慮で種々コストも時間もかけて体制を整備したことにとどまらない。普通に仕事をしている社会人が、結構長い期間拘束されて業務・企業・個人生活に支障をきたすことも珍しくないからだ。現実に、諸般の理由で裁判員を辞退する人は6割を超えているという。

 

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 その結果が「意味がない」ことになれば、誰も裁判員など引き受けないというのが、元大阪市長橋下弁護士の意見である。

 

https://hochi.news/articles/20191207-OHT1T50062.html

 

 最もな意見だし、僕自身も裁判員就任依頼が来たら、「意味があるようにしてくれないとやらない」とゴネるかもしれない。いや、多分ゴネる。

 

 現時点で多くの事件が2審までは行く、特に死刑という究極の刑罰が争われる事件が1審で終わりましたなどということは考えにくい。それならば、いっそ裁判員裁判を2審にしてはどうかと思う。1審は従来通りプロの裁判官がこれを裁き、2審に「一般市民の感覚」を導入したらどうだろう。

 

 最後に最高裁というゴールキーパーもいることだから、一般市民感覚で大いに議論して大胆な結論を出すのもいいではないか。1審の経過を裁判員候補の市民もメディアを通じて知っているから、先入観があってよくないとの意見もあるかもしれない。しかしそれも含めて市民感覚の結論を、というならそれもいいのではないでしょうか。