Cyber NINJA、只今参上

デジタル社会の世相をNINJAの視点で紐解きます。

憲法の中の「Privacy」

 先日の「AI政策ラウンドテーブル」で、憲法学の教授と知り合った。昨今、僕の周りの物騒な人たちの「憲法論議」といえば、

 

・国家レベルのサイバー攻撃者が、電力などの重要インフラを攻撃したら「戦争行為」か?

憲法9条があっても、攻撃者を特定してその設備を無力化することは可能ではないか?

 

 というものが多い。サイバーセキュリティなどというものに関わったのが、因果とあきらめるしかない。ただ今回の憲法論は、それとはちょっと違うものになった。テーマは「ネット上の人格」で、データW(ダブル)というらしい。このブログなどはもちろんそうだが、人はインターネット上のサービスを利用するたびに「足跡」を残す。これを積み重ねていくと、その人物像が見えてくる。これはデジタル時代以前にも「プロファイリング」と呼ばれて、普通にある技術だ。本格ミステリーなどは、その手法を小説形式で書いたものとも考えられる。

 

 このデータWを悪用されないように、個人データを憲法上の基本的人権と位置付けて守ろうというのが欧州各国の主張。かつてユダヤ人を特定して虐殺したことから、ドイツ語圏の国では特にその意識が高い。結果としてGDPRのような厳しい規制ができて、個人情報をおろそかにすると莫大な金額の制裁が降ってくる。一方米国では多少事情が違うと、この教授はいう。

 

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 米国憲法下では、基本的人権としての自由がある。その中には「表現の自由」があり、ネット上かどうかは別にしてオピニオンを封じるのは憲法に認められた権利を侵害することなのだ。ただ昨今のFake-news騒ぎなどで、不当に貶められる例が増えてくると「自由」とばかりも言っていられなくなったらしい。行き過ぎたあるいは誤った表現の自由については、これを規制することも考えられて一部の州でGDPRに似た「個人情報保護法制」が整いつつあるということだ。

 

 翻って日本はどうなんだっけ、という話になった。もともと基本的人権としてのプライバシー保護という概念は少ない。かといって「表現の自由」を命がけで守るという話も聞かない。「モノ言えば唇寒し・・・」と俗にいうではないか。

 

 最初はOECDだが欧米で個人情報保護法制が整備されてきたので、先進国たる日本でもそのように・・・くらいで導入されたのかもしれない。「憲法上の権利」を血を流して勝ち取った歴史は、日本にはないですからね。