名古屋から高速道路で30分ほど、木曽・長良・揖斐の3川を過ぎたところに大垣という街がある。かつては東京発大垣行きの普通夜行列車の終点だったところで、学生時代にも社会人になってからもこの列車にはお世話になったものだ。とはいえ、この駅で降りたことはない。
今回は仕事で訪問する機会があって、初めてこの地を踏むことになった。「奥の細道」で有名な松尾芭蕉が「旅に病んで、夢は枯れ野を駆け巡る」と詠んで亡くなった地でもある。その程度しか彼の地についての知見はないのだが、僕の目的地は市内にある「ソフトピア」という施設である。
1990年代に当時の岐阜県知事がハイテク団地を作ろうと、多目的ホールや研究施設を建てたところである。中央にそびえたつ本館(地上13階、地下2階)は建築家黒川紀章氏の設計になるものだ。中央には数階毎に吹き抜けがあり、いろいろなオブジェがある。1階には織田信長の像もあった。
大垣城にいた西軍主力はなぜか関ケ原に後退、彼の地で東軍と合戦になり敗れた。野戦が得意で攻城戦が苦手の徳川家康を前にして、なぜ大垣城を捨てたのかは歴史の謎とされている。そんな地形を目前にして、なるほど大垣は関ケ原の入り口かと納得できた。