Cyber NINJA、只今参上

デジタル社会の世相をNINJAの視点で紐解きます。

ホワイトハッカー

 ハッカーという言葉は、かつては「優れたプログラマー」への尊称だった。人にまねの出来ないようなコーディングをするというのは、あこがれの対象となる特殊技能だった。学生時代、隣の研究室の教授が某大手ITベンダー(当時僕の大学の計算機センターはこの会社の機器ばかりだった)を呼びつけ、

「このメインフレームのマイクロプログラムには無駄が多い。xx命令に3ステップかかっているではないか、私なら2ステップでやってみせる」

 と話していたのを覚えている。実際、これで性能は1.5倍になるわけだ。かくいう僕も、プログラムの短さにはこだわっていた。同じ機能・性能ならコーディングは短いほどいい。あいつが30行で書くならこちらは28行以内にするぞ、とばかりに。プログラムを見た誰かが、あっと驚くというのが目標だった。ミステリ同様「稚気」のプログラムですな。
 
 ところが就職してビジネスとしてプログラミングを始めると、そういう行為は禁止されてしまった。というのは製品としてのプログラムは、チームで扱うから誰からもわかりやすいことが求められたからだ。幸い僕の「稚気」を伴わないプログラム書き仕事は2~3年で終了した。

    f:id:nicky-akira:20190414095616j:plain


 僕自身は「いたずらをするプログラム」を書いたことは無いが、稚気も行き過ぎると困ったヤカラも出てきて、人を驚かせたいから悪さをするようになる。その技術が優れていると、とんでもないことになる。1983年公開の映画 "War Games" は、少年ハッカーが核戦争をもたらしかねない事態を起こす物語だ。そのころからハッカーという言葉は「コンピュータで悪さをするもの」を示すようになった。他人のコンピュータに侵入することを「ハッキング」と呼ぶようにもなった。

 リアル世界の戦い同様、サイバーの世界でも攻めの技術と守りの技術は表裏一体のものである。攻め方を知らなくては守りようもない。そこで攻める能力のある「ハッカー」が、白馬の騎士の役割をするということで「ホワイトハッカー」という名前がついたようだ。

 今や世界中をサイバー攻撃などが飛び交っていて、社会的なリスクが高まっている。白馬の騎士だけに任せるのではなく、コンピュータに触れる全ての人が意識を高め、リスクに備える必要があるだろう。