Cyber NINJA、只今参上

デジタル社会の世相をNINJAの視点で紐解きます。

放送法4条の縛り

 先日の政策勉強会で、米国市民の分断はメディアが極端な報道をする傾向に変質したせいだという話が出たことを紹介した。これはメディアだけの責任ではなく、視聴者の方も「聞きたいことだけ聞く」傾向にあり、これらはコインの裏表である。

 

 その中で、日本の放送規制の話も出た。僕はその方面に詳しくないのだが、放送法4条に「事業者が国内外で放送する番組の編集」について定められているらしい。曰く、

 

 ・公安及び善良な風俗を害しないこと。

 ・政治的に公平であること。

 ・報道は事実を曲げないですること。

 ・意見が対立している問題については、できるだけ

   多くの角度から論点を明らかにすること。

 

 なるほど、偏向報道を禁じる法律があったのかと納得した。ソーシャルメディアについては、情報発信者が事業者でなければこの規定はあてはまらないだろう。だから日本でも極端な意見が出てきてそれに視聴者が飛びついて、既存メディア離れが進んでいるのかもしれない。

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 その対策なのだろうが、このところ大手新聞社の傾向が顕著になったような気がする。S紙はかなり右寄り、もともと右寄りのY紙をしのぐくらい。反動なのかM誌は左寄りだ。これももともと左よりのA紙を超えるかもしれない。だから思い切って放送法4条を撤廃、思い切った論説・編集ができるようにしたらどうかという意見が出たのは間違いとも言いづらい。

 

 昨年自民党議員の一部から上記のような議論が起っているのだが、他の政治イシュー同様簡単に「じゃ、そうしましょう」と行くような話でもなかろう。それに4条撤廃くらいで「新聞離れ」が止まるとも思えない。以前「日経コンピュータ」の読者層の平均年齢が70歳だと聞いて驚いた。現役世代は読んでいないということに思えたし、それならこの雑誌の社会的意味は何だろうと悩んでしまった。

 

 先日の政策勉強会のパネラーの一人が、「日本メディアはもっと本気でデジタライゼーションに取り組むべき」と言っていた。それはそうだと思うのだが、「電子版」を作ればいいという問題ではない。デジタライゼーションの本質は「破壊」だ。時計業界・カメラ業界・家電業界などを破壊してきたそれがとうとうメディアにも来た。メディアの人たちも、根本的に自らの価値を見直す必要があるのだろう。