Cyber NINJA、只今参上

デジタル社会の世相をNINJAの視点で紐解きます。

バスティーユの郷愁

 簡易でもいいのでキッチンが付いた部屋で1週間暮らすという休暇のスタイルを、最初に実現させてくれたのはパリのバスティーユ広場に近いアパルトマンだった。ある旅行会社のパンフレットに「暮らすパリ」という企画を見つけたのがきっかけ。西欧を中心に、広く世界にアパルトマンを展開している "Citadines" の1軒だった。
 
 バスティーユ広場とレピュビュリック広場を結ぶ大通り沿いにあり、玄関を出たらすぐに「バスティーユの市場」があるという、びっくりするような立地。地下鉄5号線ブレゲ・サバン駅、8号線シェマン・ビーム駅、1号線バスティーユ駅が徒歩圏で、観光や買い物にも便利なところだった。

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 部屋は30平方メートルもないかもしれないけれど合理的な配置で、1週間ほどならば十分くつろげる。電子レンジの表記がフランス語だといって家内はこぼしていたが、好きなものを買ってきて好きなときに食べるという自由は何ものにも替えがたい。最初の訪問は、植物園・ブーローニュの森・ラファイエット・プランタン・いくつかのパサージュなどを巡っているうちに終わってしまった。

 それから数度パリで休暇を過ごし、そのほとんどがこのアパルトマンだった。その最後が6年前、慣れというのではなく、魅力が薄れてきたように感じた。物価が微妙に上がっており、以前良さそうなワインが10ユーロ未満で買えたのに、10ユーロを越えていたこと。もうひとつは、治安の悪化。地下鉄で寝ている人が目立つようになり、街中でもなんとなく不安を覚えるようになったこと。それから僕たちは、ドイツやオーストリアに休暇先を移していくことになる。

 そして2015年1月には、シャルリー・エブド襲撃事件があり、11月にはバタクラン劇場ほかで同時多発テロがあった。シャルリー・エブドもバタクランも11区にあり、例のアパルトマンから「地下鉄の隣の駅」程度の距離しかなかった。好きな街並みだっただけに、すごく淋しい思いをした。

 パリは複雑な街だ。プライバシーが良く保護され、誰もが気持ちよく暮らせるのだという。1989年ベルリンの壁が崩壊したとき、パリの放送局に老婆が電話をかけてきて「私のあの歌をかけて」とリクエストをした。そう「リリー・マルレーン」を歌ったあの人は当時88歳、パリで暮らしていたのだ。