Cyber NINJA、只今参上

デジタル社会の世相をNINJAの視点で紐解きます。

歴史としての東海道線(後編)

 宮脇俊三「時刻表昭和史」の本編は13章から成っているが、国府津から沼津までの現在の東海道線は、ほぼ半分の6章に登場する。最初は昭和9年の「特急、燕・富士・櫻」の章である。当時宮脇少年は9歳、ずいぶん早熟な子供だったようで、6歳から時刻表に親しみ昭和9年末の丹奈トンネル開通でのダイヤ大改正に興味を示している。

 
 このトンネル開通前の時刻表が、本書に掲載されている。東海道線は東京方面からやってきて国府津まで来る。そこから先の名称は「熱海線」となっていて、熱海で行き止まりだ。実は国府津から今は御殿場線と呼ばれている線路が、当時の東海道線なのだ。熱海から三島・沼津へ東海道線が伸びるには、丹奈トンネルが必要だった。
 
 トンネルのほかに昭和9年までの東海道線には、電化区間国府津までだったという課題があった。御殿場線の電化は相当後のことになる。東京を出た上記の特急は、国府津までは電気機関車にけん引されてくるのだが、国府津蒸気機関車への付け替えが行われるのである。
 
 御殿場線は一度乗ったことがあるが、結構勾配のきつい路線だ。当時の特急列車の中には、2両の蒸気機関車を必要としたものもあったらしい。遠回りだし勾配もあり、国府津から沼津まで途中駅に止まらない特急列車でも、1時間あまりを要したことが本書にある時刻表から読み取れる。

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 僕はよく国府津の駅を通る列車に乗ることがあるし、昔は用事があって降りることもあった。田舎の駅なのに/田舎の駅だからか、やけに大きな駅だなと言う印象を持っていた。確かに御殿場線というローカル線の乗換駅だし、湘南新宿ラインの列車が走るようになって複数のプラットフォームが必要ではあるが、それにしてもあまりにも大きいと思っていた。その割に、乗降客があまりに少ない。
 
 その謎が、本書で解けた。電気機関車蒸気機関車の付け替え用スペースや、それらを運用するための設備、多くの作業員が使うオフィスなども付近にあったはず。今はそれらのオペレーションが全く要らなくなり、ガランとしたスペースだけが残ったようだ。うーん、これが歴史ですね。

「Brexit騒動」の源流

 経団連会館APEC関連の報告会があったので、参加してきた。5年前なら何のかかわりもない会合だが、このところデジタル関連の話題が方々の国際会議で取り上げられるようになっている。今年のAPEC(議長国:チリ)も4つのテーマのうち最初のものが「デジタル経済」だった。

 

 ちょうど日本でもG20の真っ最中、財政・貿易・環境等々どれをとってもデジタルと無縁ではいられない大臣会合になっている。外務省と経産省の担当官がAPECでの議論を説明したのだが、「デジタルは今年の流行で・・・」とか「この数年貿易環境は変化していません」とか言う。流行などではない毎年比重が大きくなるテーマだし、デジタル貿易が大きくなってきたからこそ「デジタル課税」の議論が出てきていることを彼らは認識できていないようだ。

 

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 そんなわけでちょっと不機嫌だったのだが、ゲストの大学教授が「Brexit論」をしてくれたのは大変参考になった。この先生は英国外交史が専門で、特に国民投票に至る道を再整理して説明してくれたのが良かった。要約すると源流は以下の通り。

 

 離脱論者は保守党にも労働党にもいる。最初は少数だったが、与野党拮抗の状況になると、与党内で少数意見の離脱論者にも配慮せざるを得なくなる。サッチャーもメージャーもキャメロンも野党の攻撃ではなく、与党内をまとめられずに辞任した。その原因が「少数の離脱派」。キャメロンは離脱派をつなぎとめるために国民投票(の愚)に討って出るが、どうせ残留の結果が出るから問題ないと思っていた。

 

 離脱強硬派で知られるジョンソン(当時)外相も、離脱が決まってしばし茫然としていたらしい。写真は、地図上に青が残留優勢の地域、赤が離脱優勢の地域を色分けしたもの。アイルランドスコットランドはほとんど青だ。イングランドに赤が目立つ。今後も、強硬離脱か、合意を目指すか、再び国民投票かなどの迷走が続くが、下手をするとアイルランドスコットランドなどの分離独立すらありそうだ。

 

 先生によると最大の問題は、国際政治の経験深い官僚などが国内のゴタゴタでやるべきことができないこと。イギリスだけでなく、世界の外交に大きなマイナスになるだろうと言う。米中対立にしても、米国が英国のインテリジェンスを使えず苦戦するかもとのコメントだった。もはや、何をかいわんやですね。

歴史としての東海道線(前編)

 作者宮脇俊三の「時刻表20,000キロ」を読んだのは、大学生だったころ。同級生に鉄道マニアがいて、国鉄全線を乗りつぶすのだと豪語していた。彼は卒業後、社会人になってもコツコツとローカル線を廻り全線完乗を果たしている。僕はと言えば高校生の時森村誠一「新幹線殺人事件」を読んで以降、鉄道のダイアグラムを使ったアリバイトリックが好きになっていて、実際に列車に乗ることにも興味を持ち始めていた。

 

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 彼と僕は何人かの友人を誘って、萩・津和野や出雲・松江、山形・仙台などへの旅行をした。行く先々で、ローカル線を乗る旅程を入れたのは当然である。季節に一度は大判のJTB時刻表を買い、「ゲームのような列車旅」を考えていたこともある。悩みだったのは、当時から赤字路線の廃止論が出ていたこと。せっかく乗った線路が廃止されるのは辛い。
 
 乗った路線の合計キロ数が増えていくのが楽しみなのに、廃線でキロ数が減ってしまうからだ。宮脇先生のように「廃線跡」を巡る心の余裕はなかったから、廃線というのは純粋に困ったことだった。本書は、平塚のBook-offでふと手に取ったもの。昭和8年の「山手線:渋谷のハチ公」のエピソードから、昭和20年「米坂線疎開先の温泉」まで、時代の流れと作者の成長を記したエッセイである。増補版として戦後の混乱期も紹介されていた。いずれのエピソードも、舞台となっているのは鉄道である。一番多く登場するのは、近いせいもあるが国府津から沼津方面の東海道線沿線だ。
 
 本編の昭和8年から20年というのは、前半は丹奈トンネルの開通や特急列車の増発など鉄道の発展が描かれるが、後半は戦争激化から列車の本数が減り作者自身も勤労奉仕疎開をさせられるなど徐々に世相が暗くなっていく。
 
 作者の父親は短い時期だが国会議員を務めた人で、今でもある「議員優待パス」を使っているシーンが興味深い。幼いころの作者は、両親に連れられて熱海に保養に出かけたり、両親の実家のある香川に行くのに2等寝台に乗っている。市民生活が苦しくなってからも、何らかの機会を捉えて(学生の分際で)北海道や九州に出かけている。こういう少年・青年期を過ごした人だと分かれば、51歳で中央公論社の役員をやめて鉄道人生を送るという「破天荒なこと」をしてもおかしくはないと思えた。
 
<続く>

精強韓国軍の行方

 韓国政治の迷走は、文大統領の認知症が原因だとのうわさも出ている。反日の話(徴用工・慰安婦旭日旗等)は大統領の信念ゆえ仕方ないとしても、米朝間をとりもとうとして失敗、トランプ訪問を懇願して袖にされ、G20ではまともに会ってくれそうな首脳もいない寂しさである。

 

 トランプ先生だけでなく米国政府全体の対応も冷たいもので、米韓軍事演習は中止(というより事実上廃止)、米軍撤退という事態も真実味を帯びてきた。日米と違って韓米同盟には韓国が攻撃されても米軍が防衛や報復をする規定がないというのは、今回初めて聞いたこと。それに加えて在韓米軍の指揮は韓国軍司令官がとることになったという。これは、米軍が「もう朝鮮半島はあきらめました。好きにして」と言っているように聞こえる。

 

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 ソウルにいる米軍人およびその家族は、韓国にとっては人質のようなものだ。「もし北朝鮮軍がやってきたらこの人たちも犠牲になるから、ソウルを守ってね」との主張はもうできなくなる。そんなわけで漂流をはじめる韓国軍だが、実は相当の戦力を持っている。年間予算は(為替の問題はあるが)4兆円を超えている。

 

 陸軍 常備軍50万人、予備軍320万人

 海軍 7万人、強襲揚陸艦「独島」、駆逐艦12隻、潜水艦20隻弱

 空軍 6.5万人、110機のF-15/F-16を含む作戦機790機

 

 「日韓もし戦わば」という書もあったが、海・空軍の充実ぶりは北朝鮮向けではなく、仮想敵は日本だと指摘する人もいる。もちろん「常在戦場」だった陸軍50万人は精強な軍隊である。場合によっては、北朝鮮よりも厄介な存在になるかもしれないと思う。また在韓米軍3万人の行き先も心配だ。対中国の緊張関係を考えると、この地域に置いておきたいだろうが、まさか台湾というわけにはいくまい。ハワイはもちろん、グアムすら遠い。結局、沖縄の基地拡大・・・なんてことにならないよう祈りたい。

箱崎日本IBM本社

 先週、10年ぶりくらいに日本IBMの本社を訪れることになった。言うまでもなく、世界のコンピュータの歴史を担った企業である。僕が学生だった頃、この会社は世界一のコンピュータメーカーだった。ミニコンの雄DECとか、バローズ・ユニバックなどの競合企業はあり、日本でも当時の通産省の政策によって富士通と日立がIBM互換機を、NECらが独自機を開発して市場に供給していた。

 

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 僕の大学院生時代のコンピューターセンターには、富士通の大型機(メインフレーム)があり、研究室で使っていたのは日立の古いミニコンだった。就職してからの一時期、マーケティングを担当していたころに、巨人IBMが新興ベンチャーであるMicrosoftと提携、経営不振だったIntelに出資するという「事件」が起きた。
 
 当時急成長していたAppleへの対抗と言われ、「ガレージメーカーとの闘いは自らガレージメーカーになること」と言って、メインフレーム常識をかなぐり捨てた社内ベンチャー「Entry Systems Division」でPCの開発・販売を始めたのである。
 
 それから20年、ICT政策に関わるようになって日本IBMの渉外部門の人たちとの交流もできて、箱崎にあるこの建物を何度か訪れている。その後少し間が空いたが、今回は米国本社から政策担当役員が来日する機会にラウンドテーブル会合をしたいということで呼んでもらった。
 
 最寄り駅は水天宮だが、僕のオフィスからは茅場町駅経由が便利。永代通りから箱崎までゆっくり歩いて7~8分。30階ほどの高さの巨大なビルが見えてきた。ずいぶん昔からある古いビルだが、若い頃に見た威圧感はそのままである。付近に並び立つ巨大ビルがないせいもあるだろう。
 
 最上階に近い会議室に案内されたのは、初めての経験。ショールームにもなっていて往年の名機「System360」も展示してあり、懐かしい思いをした。デジタル経済の象徴はIBMからMicrosoft/Intel、今はGAFAですが、この会社には今でも存在感がありますね。